新聞に、「僕は大衆を信じている。大衆はいい判断をする」と作詞家・松本隆氏の言葉(4/10朝日の日曜版be)。割合長いインタービュー記事で「大衆」部分を簡単に言うと、売れる詩がよい詩で私のがそれ、芸術が偉くて通俗が低いという「上から目線」が嫌いだから一番下の弱いところから見ないといけない云々。
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波風氏は、「この人は、自分を大衆だと思っていないな」と立ち止まった。功成り遂げ中の表現者が、それも言葉の専門家が安易に自分は大衆に支持されていると臆面も無く口にしつつ自画自賛する態度に驚いた。辞書の【大衆=一つの集団としてとらえた多くの人々、権力・財力や特権などを持たないその社会を構成する大多数の人々】(新明解国語辞典)という意味からもこの作詞家と大衆との間には明確な違いがあり、自分の成功の意味あいを立つ位置の違う大衆に求めて自分で自分を褒める姿勢が気持ち悪い(笑)。芸術と大衆を対立的に捉える狭さ・誤りも気になる。この方の詩は今まで好きでも嫌いでもなかった(どうでもいいという意味)のだが・・・・。
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自分を大衆という言葉でまとめられたくない波風氏。大衆に「多数という驕り」(オルテガ『大衆の反逆』から)を感じるからで、貴族でない波風氏はその対立にある大衆なのだが認めたくないのだよ。『民衆』というのもどこか下からの権力みたいで気持ちが悪い。うーむ、自らを称するなら『庶民』の端くれだね。実にバラバラで勝手でそう簡単には誰かの言うことなんか聞かない人間たちの一人だね。大衆と庶民、何となく似ているようだけれど違うと思う。
割合に長くブログ書かなかったのは、①図書館に買ってもらった『クララとお日さま』を読み、②波風食堂の清掃・ワックスがけや塗装(何時とも知れない開店の準備)、③中古CDプレイヤーに耽溺していたから 朝3時ごろトイレに起きたら家の前を小鹿がゆっくりと歩いていた、家の近く草原に鹿の大衆(いやファミリー)10頭ほどが草を食んでいた・・・・・鹿と人間がなるようにしかならない具合に春先の共生冬と春の綱引きで昨日と今日は春の勝ち。