おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

こんばんは。 いつもお世話になっております 1

2012-01-14 15:42:10 | Weblog
修論を見すえて専門実習を行えるか、
教師として最低限必要な力量を再認識だけで終わらせるのかが、
大学院という学びの場の課題だと思います。

院生のなかには教師として最低限必要な力量を再認識だけにとどまり、
その後に迫る採用試験のプレッシャーから
「現場で研究する」という姿勢についての認識が生まれてこないものもいるのが、
現実のようだと思います。

こうした課題は実習に取り組む院生個々の条件に大きな差がある
教職大学院というものが持っている構造的な課題でもありますが、
「そこを乗り越えてこそ、現場で役に立つ教師なんだ」という
現場の教師の思いはなかなか、院生には伝わらないのかも知れません。
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深夜の教室

2012-01-12 15:23:59 | Weblog
深夜の教室で模擬授業をするあなたたちの姿が
まぶしく見えます。

評価されるための授業研究は苦痛以外の何者でもないように思えます。
よい評価をされるための努力は無駄になる場合が多いように思います。

でも、真摯でどん欲な努力は無駄にならないはずです。

自らが授業研究を行いたいと欲する姿勢が、
自分の授業スキルを向上させるように思います。

現場にいれば日々に追われそんな時間もなくなることが多いのですが
、今だからこそできることを精一杯やってほしいと思います。
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何のために

2012-01-11 15:16:37 | Weblog
教師も子どもも共に楽しめたときに
楽しい授業が成立すると思います。

人生の次のステップに進むためだけに
必要だと思われる知識を与えようとすると、
「何のために勉強しなくてはならないの」
という子どもたちの素朴な質問に、
答えられない場合があります。

あなたは何のために「教師になったのですか」
という問いに、採用試験対策の答えしか持っていないのなら
もう一度、自分自身に問い直す必要があると思います。

かつて宮沢賢治は教員をしていたときに
生徒に「何のために生きるか」という問いかけを
行ったそうです。
その時の賢治の答えは
「それを考え続けるために生きている」
というものでした。

話し合い深め合うことを「考える」というのなら
そんな時間をこの2年間で作っておいてください。

特に「今」を読み解く力がなければ 
過渡期であるこれからの教育現場を
乗り越えられるものではないようにも思われます。
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反省的実践家

2012-01-10 15:13:27 | Weblog
楽しく学ぶという言葉について、
子どもたちに迎合することなく、
楽しい授業を創造するには、
こちら側 教師側も楽しんで教えるだけの余裕がなくてはなりません。

持てる知識を100%ひけらかしたところで、
単に知識だけなら子どもに負ける場合もあります。
知識だけではなく実技においても負けることは
小学校においてでさえ多々あります。

徒競走水泳ピアノリコーダ・・・。
全部子どもよりできなければ教師ができないのでしょうか?

うまくできるか自信がなくてあたりまえ。
変な自信を持っている方がこわい。

今、先生の卵であるあなたたちが
自分自身を反省的実践家であるかどうかを判断しようとしても、
余り意味がないように思います。

むしろ現場の忙しくて大変な状態の中でこそ
反省的実践家たりうるかどうかと、
常に自問自答する姿勢を持ち続けることが大切なのだと思っています。
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普段の関係の中で見えてくるもの

2012-01-09 15:09:47 | Weblog
先生と子どもたちとの普段の関係の中で見えてくるものがたくさんあります。

先生が学習集団をどう構成するかという意識を持つことが
とても大切なように思えます。

クラスが荒れていたら授業は成立しないし
学校に来なかったらこの学習保障はできない訳ですから、
普段の教師と生徒の関係が大事になってきます。

言い換えれば、その日常的な対応の中で
見え隠れする教師自身の価値観による部分を
常に反省的に省察できる力が必要になるっいう感じですか。

そして、その価値観を元にして
学習集団に欠けているものを 見極める力が
先生の内面で形成されなくてはならないと思います。
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授業ってむずかしい・・。

2012-01-08 15:03:37 | Weblog
教師の授業スキルとその教科における専門的知識は
必ずしも正比例しない
と、この頃感じることがありました。

当然普段の授業なら発問や日常の教師と子どもたちとの
関係が影響するからです。

質問といいますが質を問う発問はとてもむずかしいように思います。
それも短い言葉でそれぞれの発達段階や実態に即しての発問は、
授業を進める上で、思い悩むものでした。

自分の教えたいことだけを教える、そんな授業は
もううんざりだと思っている子どもたちばかりではないのですが
それしかできない教師もどこか、もの足りません。
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何が違うのでしょうか

2012-01-07 14:53:51 | Weblog
授業と大学で行う講義とは何が違うのでしょうか?
教師の持てる知識を示すと言うことでしょうか

一つの切り口として
講義は「学びたいと思っている者が聞くもの」
授業は「学びたいとは必ずしも思っていない者に学びたいと思わすこと」
というのがありますが

さてさて大学の講義でそれあてはまっていたのでしょうか。
その延長で今わ過ごしてしまうと
子どもたちを前にしてあなたたちは
授業を成立させることができないかも知れませんね。

学びたいと思っているどうかが、今大切なように思えます。
ただ 単位がほしいだけなら 何かむなしい時間になると思います。


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いよいよスタートですね。

2012-01-04 20:12:49 | Weblog
1月4日から仕事始めなんだということに
気がついたのは仕事をしてから
ずいぶんたってからのような気がします。

最近こそ、あたりまえのことのように思えるようになったのですが
若い頃は始業式の前日までお正月だと思っていたのは事実です。
やはり あなたが言うように教師の常識は
世間の非常識という部分があったように思います。

ただ
あのころは忙しくってもなぜか充実していたようにも思えるのです。
自分が追いかけている夢はいつか実現するんだという
根拠のない想いですが
追いかけることができていたのです。

ずいぶん言い古された言葉ですが「教師は聖職者なのか」「労働者なのか」という論議ですが
今ではその言葉さえあり聞こえてこなくなったように思います。
あつい熱を持った団塊の世代が消えていくとその思いも一緒に冷えていったのかもしれませんね。

自分を主張することを忘れてしまった先生・・というのでしょうか
先生に夢を見ることができない先生というのでしょうか、
そんな先生が目につくような年になった自分がいやになりそうだったのですが
後輩からきた一枚の年賀はがきにほっと救われたような気がしました。

http://africaryu-kon-roku.blogspot.com/

はがきに示されていた彼のブログには夢があるように思えました。
まだまだ先生も捨てたもんじゃないというそんなおもいがしましたよ。

やっぱり 教師は現場で動いてなんぼの仕事ですね。

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