電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

山響第223回定期演奏会でスメタナ、ベートーヴェン、ドヴォルザークを聴く

2012年08月12日 06時17分08秒 | -オーケストラ
お盆も近いというのに、連日の演奏会通いです。山形交響楽団第223回定期演奏会を聴きました。「チェコ国民楽派の英雄」と題して、

(1)スメタナ 連作交響詩「我が祖国」より「モルダウ」
(2)ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.61 Vn:堀米ゆず子
(3)ドヴォルザーク 交響曲第7番ニ短調Op.70
  指揮:イジー・シュトルンツ、演奏:山形交響楽団
  会場:山形テルサホール

というプログラムです。

実は、あの3.11の時は、鶴岡市民会館で山響庄内定期のゲネプロの真っ最中で、このときの指揮者が、今回のイジー・シュトルンツさん。しかもプログラムが遠藤真理(Vc)さんとマルティヌーのチェロ協奏曲がベートーヴェンに変わったけれど、他の二曲はまったく同じです。その意味では、中止になってしまった定期演奏会の再演という意味合いが強いプログラムです。

開演前の指揮者のプレコンサートトークで、山響に客演するのは3度目で、最初は4年前に、ハンガリーの音楽を取り上げたこと、2度目があの earthquake(地震)とFukushima で中止になり、今回、音楽家たちとコミュニケートできることが最大のやりがいと感じていることなどを紹介します。聴衆の入りは最前列二列が空いており、85%くらいでしょうか。もう一つ、今回はオーケストラ団員の服装が正装ではなく夏向きのクールビズに、男性ならば上着をぬいで黒のシャツにノーネクタイというものです。節電のため冷房温度を高めに設定している昨今、演奏家も貴族の館の楽士スタイルでなくてもよいのでは、という発想はよく理解できます。



さて、団員が登場、「モルダウ」では、指揮者の左側から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスというオーソドックスな配置で、楽器編成は ピッコロ(1)、Fl(2)、Ob(2)、Cl(2)、Fg(2)、Hrn(4)、Tp(2)、Tb(3)、Tuba(1)、Timp、Perc.、Hrp に弦五部(10-8-6-6-4) というものです。
冒頭のせせらぎの音楽は、第1と第2ヴァイオリンのピツィカートに2本のフルートで始まるのですね。そこへホルンとヴィオラ等が味付けをして、次第に流れが大きくなる。フルートの2番に(足立さんでない)男性奏者が入っていましたが、客演の方のようです。その隣の女性奏者のピッコロが、嵐の場面では実に効果的です。最後はダイナミックに盛り上がりますが、弦の音色がとてもやわらかで美しいと感じました。

続いてベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。配置は同じですが、楽器編成は若干変わり、Fl(1), Ob(2), Cl(2), Fg(2), Hrn(2), Tp(2), Timp., 弦5部(10ー8ー6ー6ー4) となります。
ティンパニに続く音楽の冒頭部で、木管に応じる弦楽の中で、指揮者は低弦の応答を充実しています。長い序奏の後、独奏ヴァイオリンが出てくるわけですが、この曲で作曲者は、2本のファゴットの役割を工夫しているようです。高橋あけみさんと鷲尾俊也さんのお二人が、実にいい味です。うーむ、やっぱり弦の響きにふっくらとした柔らかさが感じられます。
第2楽章、ひたすらヴァイオリン・ソロに酔いました。やっぱり名曲です。
第3楽章、堀米ゆず子さんの活力とエネルギーはすごい。「どーんとまっかせなさい!」という気合で、やわな男の子など、どやされたら小さくなってしまいそう。高橋あけみさんのファゴット・ソロにブラボー。Ob,Cl,Fg のトップたちの木管アンサンブルの響かせ方も、実にナイスなバランス!フィナーレも抑制のきいたグッドバランスで、ベートーヴェンが工夫した響きを堪能しました。
聴衆の拍手に応え、堀米ゆず子さんがアンコール。J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番第3楽章」。ベートーヴェンの熱演の後だけに、繊細な無伴奏がことさらに印象的でした。



ここで、15分の休憩になります。ホワイエでは、山響の新しいCDが先行販売されていましたので、飯森範親指揮山形交響楽団によるシューマンの「交響曲第2番・第3番"ライン"」を購入しました。



後半のドヴォルザークは、Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(4),Tp(2),Tb(3),Timp,弦5部(10-8-6-6-4)という編成となります。ただし、トランペットは現代楽器を使用、クラリネットは2本ずつ持参しての演奏となります。このあたり、クラリネットは長さの決まった木管楽器ですから、調によって管を取り替えなければならない、ということなのでしょう。
さて、あえて再演するドボルザークの7番、スメタナの悲劇を越えて、かつてのチェコの英雄(たち)を思う音楽だと理解(*)していますが、世界を震撼させた東日本大震災の津波と福島原発事故の悲劇を前にしながら、なお音楽のオプティミズムを信じようとするメッセージかと思います。
第1楽章:アレグロ・マエストーソ。重厚な音楽です。山響の音が、実にバランス良く響きます。第2楽章:ポコ・アダージョ。弦のピツィカートの上にObとCl、それにFgも加わり、美しい音楽になります。憧れと希望。実に見事な楽章です。第3楽章:スケルツォ。ヴィヴァーチェ・メノ・モッソ。フリアントのリズムが魅力的な、スラブ舞曲みたいな音楽です。管の各トップの活躍。弦が、とくにヴァイオリンが、緊密なアンサンブルを聴かせながら、実にふっくらと柔らかです。第4楽章:フィナーレ、アレグロ。トロンボーンの出番。いつも思いますが、クラリネットがシャーロック・ホームズの番組のような旋律を奏で、当方お気に入りの箇所です。曲は次第に力が入ってきて、グッドバランスのまま盛り上がって終わります。



指揮者イジー・シュトルンツさんは、もともとヴァイオリン奏者だったらしい。現在は、ピルゼン国立歌劇場の首席指揮者とプラハ国立歌劇場の指揮者をつとめているそうです。なるほど、歌手の歌がしっかりと聞き取れなければならない舞台では、大きな音を積み重ねるのではなく、音を引き算して行って、声を浮かび上がらせる必要があります。そのために、金管楽器を控えめに、弦のソフトな響きを重視するように、オーケストラの響きのバランスを整える基準が少し違ってきているのかもしれません。また聴いてみたい、良い指揮者だと思います。

(*):ドヴォルザーク「交響曲第7番」を聴く~「電網郊外散歩道」2008年11月
コメント (2)