中公文庫の田村喜子著『京都インクライン物語』は、私の愛読書の一つで、京都・南禅寺の水路閣や蹴上の水力発電所界隈と共に、京都のお気に入りスポットの一つです。以前にも「『京都インクライン物語』と『日本の川を読みがえさせた技師デ・レイケ』」という記事(*1)を書いていますが、このたびふとしたことから再読してみて、田辺朔郎の前半生において工部大学校が果たした役割の大きさをあらためて感じました。
幕臣の子として生まれ、早く父を病で失った田辺朔郎は、明治維新の後に叔父・田辺太一の援助で工部大学校に入学します。ここで二年間の基礎教育と二年間の応用教育、そしてさらに二年間の実地訓練と経験を積んでいくわけですが、最後の実地のテーマが、琵琶湖疏水の計画というわけです。卒業論文として完成させた琵琶湖疏水の計画は、当時の京都府知事・北垣国道の注目するところとなり、北垣によって府の事業の中心となる技術者として招かれることとなります。
本書は、後半の疏水に伴うトンネル工事や水力発電の導入、インクライン等、琵琶湖疏水に連なる様々な課題を解決していく姿が中心となるのでしょうが、この大きな事業を成し遂げた背景にあるのが、工部大学校における六年間の教育であったことは間違いないところでしょう。
(*1):『京都インクライン物語』と『日本の川を読みがえさせた技師デ・レイケ』~「電網郊外散歩道」2005年6月
幕臣の子として生まれ、早く父を病で失った田辺朔郎は、明治維新の後に叔父・田辺太一の援助で工部大学校に入学します。ここで二年間の基礎教育と二年間の応用教育、そしてさらに二年間の実地訓練と経験を積んでいくわけですが、最後の実地のテーマが、琵琶湖疏水の計画というわけです。卒業論文として完成させた琵琶湖疏水の計画は、当時の京都府知事・北垣国道の注目するところとなり、北垣によって府の事業の中心となる技術者として招かれることとなります。
本書は、後半の疏水に伴うトンネル工事や水力発電の導入、インクライン等、琵琶湖疏水に連なる様々な課題を解決していく姿が中心となるのでしょうが、この大きな事業を成し遂げた背景にあるのが、工部大学校における六年間の教育であったことは間違いないところでしょう。
(*1):『京都インクライン物語』と『日本の川を読みがえさせた技師デ・レイケ』~「電網郊外散歩道」2005年6月