電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

坂本敏夫『典獄と934人のメロス』を読む(1)

2016年03月15日 06時01分54秒 | 読書
講談社刊の単行本で、坂本敏夫著『典獄と934人のメロス』を読みました。地元紙で紹介記事(*1)を読んで、すぐに入手した初版第一刷ではありますが、一読して考え込み、再読し、考えがまとまるまでかなりの時間がかかりました。



山形県寒河江出身の典獄(今で言う刑務所長)の椎名通蔵(みちぞう)は、明治43年に東京帝国大学の法科政治学科を卒業し、司法省監獄局の事務官となります。帝大出の監獄官吏第一号でした。その後、文官高等試験に合格し、大正二年に横浜刑務所の典獄として赴任します。着任して五ヶ月が経った9月1日、午前11時50分、大地震が発生、関東大震災です。

正門は崩れ落ち、塀は倒壊、工場も独居舎房もつぶれます。次々に倒壊する独房の扉の鍵を開いて回る看守が骨折し負傷したところを、先に助けられた受刑者たちが布団をかぶせて救い出します。緊急設営された警備本部で情報を集約したところ、横浜地裁に出廷中の者を除いた在所者が集合点呼を受けます。行方不明者は倒壊した建物の下敷きとなったらしく、朝からの強風で横浜市街地は火災に包まれ、なお延焼中です。椎名は非常持出の書類の搬出を支持しますが、隣接する電気局宿舎に火災が発生、二百人もの囚人たちが構外に出て、人命救助と家財の搬出を行います。それは、「刑は応報・報復ではなく教育にあるべきで、その根底には信頼がなければならない」との考えのもとに、犯罪者の処罰よりも犯罪者の更生と国の役に立つ人間に育てることを重視してきた椎名通蔵の信念を裏付ける姿でした。

煉瓦塀は倒壊し、舎房、工場、庁舎等、建物はすべて全半壊の後に焼失、収容人員1,131名のうち死者38名、重軽傷60名、うち重体10名、職員も3名死亡、行方不明3名、重軽傷18名という状況で、周囲の横浜市街地が火災のために、救援が期待できないという状況下では、典獄は24時間の一時解放を行う権限を有するという監獄法第22条に基づき、椎名通蔵は934名の囚人の一時解放を決断します。司法省に連絡を入れるべく、決死の伝令を発すると共に、市街地の警察署にも一時解放を知らせ、無用の混乱を避けるための対策を講じます。

解放された囚人たちが、柿色の囚人服のまま崩れた正門跡から出て行く姿は、映画であればドラマティックな名場面となることでしょう。



ここまでは、典獄の側から見た全体像です。そして第2章は、囚人の側から見た帰還までの被災地での出来事です。

(*1):この本を読みたい~坂本敏夫『典獄と934人のメロス』~「電網郊外散歩道」2016年1月

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