電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

鴻上尚志『不死身の特攻兵・軍神はなぜ上官に反抗したか』を読む

2018年02月05日 06時02分09秒 | -ノンフィクション
新聞の書評で知った講談社現代文庫で鴻上尚志著『不死身の特攻兵・軍神はなぜ上官に反抗したか』を読みました。2017年11月刊ですので、まだ発売間もないのに1月で第7刷となっています。売れているようです。たしかに、私も興味深く読みました。

本書の構成は、次のようになっています。

第1章 帰ってきた特攻兵
第2章 戦争のリアル
第3章 2015年のインタビュー
第4章 特攻の実像

第1章は、生き残った特攻隊員を集め、軟禁した特攻隊振武寮についての本の衝撃と、この本に書かれた陸軍の佐々木友次伍長の話を中心にしています。何度も特攻に出撃し、その都度生きて帰還した人の話です。その佐々木さんが、高齢ではあるが存命だと知り、北海道にインタビューに出かけます。
第2章は、佐々木友次さんの生い立ちと飛行機乗りになる話から。陸軍で岩本益臣隊長と出会い、大きな影響を受けます。大本営作戦課で考え、航空本部が決めた特攻作戦。跳飛爆撃といって、爆弾を一度海面で跳ね返らせ、艦船の横腹にぶつけることで貫通破壊する方法を主張し実践・教育していた岩本大尉を狙い撃ちして、陸軍初の体当たり部隊の隊長が指名されます。このあたりは、専門的技量の高い、自説を頑固に主張する部下を厄介視する上部組織の悪意と意地悪でしょう。岩本大尉と新妻との別れは悲しく、儀式好きの司令官の命令によって、挨拶のために飛ぶことになった岩本大尉は、フィリピンの空に散ります。
こんどは佐々木伍長の番です。岩本大尉は苦悩の末、訓練の努力と飛行技術の否定である体当たりを回避すべく、落とせないようになっている爆弾をワイヤーで手動で落とせるように現地で改造してもらっていました。佐々木伍長はレイテ湾で揚陸艇を攻撃しますが失敗、帰還すると自分が戦艦を体当たりで沈めたことになっていました。大本営が天皇に上奏したことは訂正できないので、今度こそ死んでこいと、参謀長は出撃を命じます。佐々木伍長は大型船を爆撃し、再び帰還。そんな繰り返しの中で司令官は台湾に逃亡します。そして敗戦、帰国復員。
第3章:92歳の佐々木友次さんへのインタビューの記録です。「下士官だから帰って来れた」。岩本大尉や出丸中尉は立場が違う、と。名誉やプライドが、組織の中では抜き差しならない立場に追い込んでしまうことがあります。特攻で亡くなった人の家族からも、「一兵卒」には何も言われない。別の特攻機に乗り換えても、整備兵はちゃんと爆弾をワイヤーで操縦できるようにしてくれていた。父親が日露戦争で「金鵄勲章で帰ってきたんだから、俺も帰れるわと、そういう気持ちは充分あった」という話も。「空を飛ぶことが大好き」で、岩本大尉の「死ぬな」という思いと命令、父親の経歴と言葉、飄々とした性格など、様々なものが支えとなったのでしょう。
第4章、ここは著者の解釈と考えです。最も印象的だったのは、「当事者でない人間の怖さ」(p.285)でした。多数の予科練出身者の中で、ただ一人特攻体験があった人がインタビューを受け、志願の実態や正直な気持ち・苦悩を答えると、集まった人たちから「取り消せ!」と面罵されたというのです。特攻体験をした人に向かって、体験しない人が面と向かって罵倒するという異常。自分の解釈こそ正しいと信じる人が、意に沿わぬ発言をする人を攻撃する。現代でもありうる状況だけに、怖いものがあります。



多くの人を生かそうとする国や組織は栄えるでしょうが、多くの人を死なせる国や組織はやがて廃れます。大局的には、そういうことでしょう。特攻戦術を採用した参謀本部・大本営は、おそらく頭の良い人が集まっていたのでしょうが、当面の戦局をどうするかを考え、大局的な立場に立つことはできなかった(*1)、ということなのでしょう。

(*1):牧原憲夫『民権と憲法~日本近代史(2)』を読む~「電網郊外散歩道」2017年4月

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