母の一周忌まで一ヶ月ほどとなり、主だったところへは前もってお盆の際に予定を伝えていましたが、正式なお使い状をご近所親族に配り終えたところです。遠方へは郵便で送付し、高齢の方々も少なくないことから無理をすることのないように、出欠だけをお知らせくださいと一筆添えました。考えてみれば、両親の兄弟姉妹はほとんど90代、その子ども、すなわちいとこ達でさえ60代〜70代となっています。近隣在住の場合はお互い様だけれど、遠方の場合はどうしても無理がかかります。このあたりは、感情的なものというよりは理性的に合理的に判断するべきものでしょう。逆に言えば、ふだんのお付き合いというか、関わりの深さによるものと言っても良い。自分のこととして考えれば、義理ある人の葬儀等には可能な限り出席したいと思うけれど、形だけの場合はちょっと考えてしまいます。
「遠くの親戚よりも近くの他人」という言葉がありますが、実際に大事になるのはそういうつながりのことが多いでしょう。だから、老父母を遠方の子どもが引き取るという形ではうまく行かず、「老木は植え替えるべからず」と言われるのだろうと思います。もし、私が最後に一人だけになったとしても、子供のところに身を寄せるよりはできるだけ介護サービスを利用し、ご近所友人知人の中で「一人で暮らす」方を選ぶでしょう。我が先祖が大事にしてずっと仏間に掛けてきた「野晒し」の画のように「最後は一人」という覚悟で生きたいものだと思います。もっとも、李白が老猫になる頃には私も90代に突入でしょうから、1人と1匹か(^o^)/
「遠くの親戚よりも近くの他人」という言葉がありますが、実際に大事になるのはそういうつながりのことが多いでしょう。だから、老父母を遠方の子どもが引き取るという形ではうまく行かず、「老木は植え替えるべからず」と言われるのだろうと思います。もし、私が最後に一人だけになったとしても、子供のところに身を寄せるよりはできるだけ介護サービスを利用し、ご近所友人知人の中で「一人で暮らす」方を選ぶでしょう。我が先祖が大事にしてずっと仏間に掛けてきた「野晒し」の画のように「最後は一人」という覚悟で生きたいものだと思います。もっとも、李白が老猫になる頃には私も90代に突入でしょうから、1人と1匹か(^o^)/