電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

新庄市の雪の里情報館「松田甚次郎展」に行く

2014年01月13日 06時04分56秒 | 散歩外出ドライブ
真冬の連休の中日、新庄市の「雪の里情報館」で開催された「松田甚次郎展」に行きました。雪の里情報館というのは、旧雪害調査所のことで、松岡俊三が雪害を訴えたことにより、その対応の一つとして設置されたものです。今はトンガリ屋根の克雪建築をはじめ、シャルロット・ペリアンが指導した雪国の民芸品などを常設展示していますが、今回の新庄行きの目玉は、没後70年記念となる「松田甚次郎展」です。





松田甚次郎は、現在の新庄市鳥越の豪農の家に長男として生まれ、現在の村山市の楯岡農学校から盛岡高等農林学校の別科に進み、ここで宮澤賢治(*)に「小作人たれ」「演劇をやれ」と教えられて郷里に戻り、愚直に様々な実践を積み重ね、これをまとめた著書『土に叫ぶ』がベストセラーとなって、一躍全国的な知名度を得ます。飢饉と娘の身売りに象徴される東北の農村救済のために命を減らし、34歳で没します。



今回の展示の中で、音楽ファンとして野次馬的に興味深かったのが、松田甚次郎が著書『土に叫ぶ』の著者として印税を受け取っていないこと。かわりに、某書店から受け取ったのが、蓄音機とレコードだったそうな。もしかしたら、これがそれなのでしょうか?





当然ながらSPレコードですが、なんとベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のヴィクター盤でした。「最上協働村塾創立拾年 昭和十六年九月八日 求む 松田甚次郎」と署名があります。





関連の展示の他に、詩人の近江正人氏の講演がありました。「地域づくりの先駆者・松田甚次郎先生の生涯~ふるさとへのメッセージ」と題する講演内容は詳細かつ的確なもので、たいへん有益なものでした。とくに、宮澤賢治自身の試みとは違う点として、農村の問題を考えていくためには婦人の問題を同時に考えていかなければならないとする視点を持っていたこと、住井すゑさんとの交流などもあったことなど、実践の広がりは驚くほどでした。

(*):岩手で宮沢賢治のことを考える~「電網郊外散歩道」2008年6月

さて、本日は、夕方から山形市の文翔館議場ホールにて、山形弦楽四重奏団の第50回定期演奏会の予定。雪に負けずに、出かけます。


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