電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

今晩は山形交響楽団第177回定期演奏会の予定

2006年12月16日 10時15分35秒 | -オーケストラ
本日19時から、山形駅西口に隣接する山形テルサホールにて、山形交響楽団の第177回定期演奏会が開催されます。チケットの申込みは Windows+IE な環境でないと動作しないのか、私の Linux/Mozilla あるいは Windows+Firefox な環境ではネット経由で入手する方法は取れないようで、映画「武士の一分」を見てきたついでに、チケットぴあでペア券を購入してきました。今日は家内とでかけます。本日の主な曲目は、
(1)ストラヴィンスキー、協奏曲ホ調「ダンバートン・オークス」
(2)ショパン、ピアノ協奏曲第1番、イリーナ・メジューエワ(Pf)
(3)ドヴォルザーク、交響曲第6番
指揮は小松長生さん。ここしばらく通勤の音楽でドヴォルザークの6番を確認してきました。昨日からショパンのピアノ協奏曲1番をクラウディオ・アラウのピアノで聞き始めましたので、今から楽しみです。
で、午前中は掃除と精米と年賀状作成、午後は図書館に本を返しつつ、買い物を兼ねてでかけ、テルサホール経由で帰ります。
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映画「武士の一分」を見る

2006年12月15日 22時43分11秒 | -藤沢周平
話題の映画「武士の一分」を見てきました。良かった。私は芸能スポーツ流行にとんとうとい生活なので、キムタクという言葉があることは知っていましたが、どんな人なのか顔を知らなかった。主演の木村拓哉は、なかなかナイスな演技でした。妻役の新人女優さんは、ほんとにきれいで立派な演技です。

ところで、映画のストーリーとは別のところで、気づいたところをいくつか。
(1) 孤児の加世さんは、いったい誰に育てられたのか。
--映画の中で「みなし児だった私は」というセリフがあります。また、敵役の島田藤弥が道端で加世に言う「寺子屋に通う貴女を見て」という台詞もあります。この点については、藤沢周平『隠し剣秋風抄』所収の原作「盲目剣谺返し」の中に、「新之丞の母は以寧をことわって、自分の遠縁でみなし児の境遇にいた加世を選んだ」とあります。新之丞の母方の家で躾けられた加世は、文武に優れ、気持ちの優しい新之丞に憧れたのでしょう。おしゃべり叔母さんの以寧は、原作では新之丞の二つ上の従姉という設定で、新之丞のもとへ嫁入ることを望んでいたことになっています。たぶん、映画では「加世はそげだ淫らなことをするおなごではありましね」という台詞を、言わせたかったのでしょう。
(2) 忠実だがとても気が利くとはいえない老僕を雇い続けた理由は。
--徳平は、料理は下手だし薪割も上手とは思えず、目の見えない新之丞を厠まで手を引く際にも物干し竿を避けていくことさえ気づかないほど、気が利かない男です。朴訥と言うよりも、どちらかといえば愚鈍に近いほどの、しかし忠実で誠実な年寄りです。先代から勤め始めたようですから、この老僕を雇い続けた理由があったのでしょう。たぶん、新之丞の父母は、徳平の無類の忠実さ、誠実さの価値を高く買ったのだろうと思われます。
(3) 離縁された加世は、どこにいたのか。
--まさか島田藤弥の屋敷には行けませんし、親族会議の状況を見てもわかるとおり、みなし児の境遇には受け入れてくれる実家もありません。では、加世はどこに行ったのか。たぶん、徳平の家だったのではないかと思われます。
(4) 映画中の音楽の中で、笙の響きが使われているところがあった。
--解説を見ると、宮田まゆみさんとある。以前、N響のヨーロッパ公演で、武満徹さんの「セレモニアル」を演奏した人とは違うのかな?

いや、ひさびさにいい映画を見ました。だいぶ泣かされました。涙は埃っぽい心を洗い流してくれます。
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ドヴォルザークの交響曲第6番を聞く

2006年12月14日 21時02分02秒 | -オーケストラ
ふた昔ほど前の話ですが、遠距離通勤をしていた頃、ドヴォルザークの伝説曲とともに、交響曲第6番、ニ長調、作品60 をカセットテープでよく聞いておりました。早朝に自宅を出発すると、途中でぱぁっと明るくなって来る。その時の気分がこの音楽によくマッチして、比較的よく手が伸びるテープでした。
当時はディーゼル・セダンに乗っており、時折信号で止められる以外は、道路がまだ混雑する前なので、快適な通勤ドライブです。オートリバースでエンドレスに再生される音楽に、7番の交響曲とはずいぶん違った楽しさ、幸福感を感じました。

第1楽章、アレグロ・ノン・タント。いかにも晴れやかな気分で、これが通勤の音楽として愛聴した最大の理由です。
第2楽章、木管楽器の導入から弦が入って来る、ゆっくりした出だしのところがたいへん印象的なアダージョ。ここも、ノンストップ郊外ドライブにはたいへん適した、気持ちの良いところ。
第3楽章、スケルツォ(フリアント)、プレスト。うきうきとはずむようなメロディとリズム。親しみやすさから、うっかりするとスラブ舞曲集の中の一曲と間違えそうです。
第4楽章、フィナーレ、アレグロ・コン・スピリト。ドヴォルザーク節がはじける晴れやかなフィナーレは、作曲家が最初に発表した交響曲として話題になるのに充分な音楽でしょう。

演奏は、ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコフィルハーモニック管弦楽団。1982年にプラハの芸術家の家でデジタル録音されたもの(DENON 33C37-7705)です。ノイマンの表現は、全体としてあまり低弦を強調することなく、弦楽セクションの中音域をやわらかく響かせ、ほどよいバランスで管楽器を浮かびあがらせているように聞こえます。フィナーレなど、意外なほど力強い強奏を聞かせるところもありますが、どちらかといえばすっきりと端整で、地味で品の良いドヴォルザークでしょうか。添付のリーフレットの解説は高橋昭氏です。
当時、CDがようやく主流になりつつある時期でしたので、CDの単価も高かったものでした。でも、安い軽油でガソリン代金を節約した分を、ほとんどCDやLDにつぎこんでおりましたので、このようなレギュラー盤を購入するゆとりがあったのだろうと思います。

手元にはもう一枚、ラファエル・クーベリックがベルリン・フィルを指揮した輸入盤の演奏もあります。グラモフォンの紙箱入り6枚組の全集(463 158-2)で、こちらは音楽の表情がよりうねりの大きいものになっており、迫力や情熱的な面が感じれます。ベルリン・フィルの低弦セクションは、少し音の入りを意図的にずらしているのでしょうか、ときどきズザーという感じで聞こえます。豊麗な響きのスケール感は、個々の奏者のゆたかな響きだけでは説明できないもののようです。録音は、1972年の秋にベルリンのイエス・キリスト教会で行われたもので、たいへんに豊かなアナログ録音です。

■ノイマン指揮チェコフィル盤
I=13'40" II=10'31" III=8'22" IV=10'46" total=43'31"
■ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィル盤
I=13'15" II=11'27" III=8'34" IV=11'56" total=45'12"
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備忘録メモ事項

2006年12月13日 22時40分19秒 | Weblog
近日中の備忘メモ:

【日時がはっきりしているもの】
12月12日(火)、技術評論社より、奥村晴彦著『LaTeX2e美文書作成入門』(改訂4版)が刊行される。3,339円。
12月16日(土)午後7時より山形交響楽団第177回定期演奏会、山形テルサホール、小松長生指揮、メジューエワ(Pf)、ショパンのピアノ協奏曲第1番、ドヴォルザークの交響曲第6番、ほか。

【日時が未定のもの】
映画「武士の一分」、山田洋次監督作品、藤沢周平原作、ソラリスにて。

本日、エフゲニー・キーシンのピアノで、コンサートでの録音を集めたブリリアント・クラシックスの4枚組CD(92118)を購入してきました。チャイコフスキー、ショスタコーヴィチ、ショパンのピアノ協奏曲のほか、リスト、シューマン、ショパンのピアノ独奏曲を集めたもので、チャイコフスキーの協奏曲はゲルギエフとペテルブルグ音楽院のオーケストラの伴奏。シューマンの「交響的練習曲」などが聞けるのが楽しみです。
現在、山響定期演奏会のために、ドヴォルザークの交響曲第6番を通勤の音楽として聞いております。ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコフィルの演奏です。
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ガソリン価格が130円を切っている

2006年12月12日 06時39分01秒 | 散歩外出ドライブ
ガソリン価格がやや下がってきています。2005年9月に、リッターあたり130円を超えたことを記事にしましたが、それから1年あまりも130円台をキープしてきたことになります。今後どうなるのかは不明ですが、高値安定にならないことを祈りつつ、大局的には省エネルギー生活に心がけることとしましょう。
とはいえ、ガソリン価格にほぼ連動する灯油価格、北国では節約と言っても限度があります。寒さが厳しくなる季節は、さっさと寝るに限ると言うことかも(^o^)/
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記事に登場する作曲家名ランキング

2006年12月11日 06時03分05秒 | クラシック音楽
たいていのブログには、サイト内検索の機能がついています。記事の量が多くなると、自分のサイトを検索しないと目的の記事が探せなくなってしまいますので、その意味ではたいへん便利なものです。

ところで、自分の記事の中に、いろいろな作曲家名が何回登場するか、ランキングを調べてみたらどうなるのだろう。これはその作曲家についての記事の本数ではなく、記事の中のどこかで1度でも言及されていれば、その記事を1本と数えた本数です。好き嫌いに関わらず、どんな作曲家を意識しているかが、比較的明瞭に現れてくるような気がします。

で、平成18年12月10日現在の結果です。

第1位 モーツァルト ------ 67件 *************
第2位 ベートーヴェン ---- 47件 *********
第3位 シューマン -------- 42件 ********
第4位 ブラームス -------- 33件 *******
第5位 J.S.バッハ -------- 28件 ******
第6位 ドヴォルザーク ---- 27件 *****
第7位 メンデルスゾーン -- 26件 *****
第8位 ハイドン ---------- 24件 *****
第9位 ヴェルディ -------- 22件 ****
第10位 プロコフィエフ --- 21件 ****
第11位 チャイコフスキー - 19件 ****
第12位 マーラー --------- 18件 ****
第12位 バルトーク ------- 18件 ****
第14位 シューベルト ----- 17件 ***

ふーむ。ワーグナーやブルックナーなどが上位に出てこないのは、たしかに私の好みを反映していると思います。ローベルト・シューマンが予想以上に上位に来ているようですね。これは、室内楽や器楽曲で登場回数が多いのと、音楽史的な話題が多いことから来る現象でしょう。ヴェルディは、ほとんど歌劇でしか登場しないことを考えると、ずいぶん話題になった回数が多かったと思います。プロコフィエフとバルトークもだいぶ健闘しているようです。
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デュマ『モンテ・クリスト伯』を読む(10)~ヴィルフォール家の秘密

2006年12月10日 10時32分34秒 | -外国文学
少しずつ読み進めてきた集英社版世界文学全集の松下和則・彩子訳『モンテ・クリスト伯』の第二巻がいよいよ大詰めです。休日を利用して、一気に読み進めることができました。

モンテ・クリスト伯の正体に疑問をいだいた検事総長ヴィルフォールは、謎の大金持モンテ・クリストに関する情報を集めます。船乗りシンドバッドと呼ばれるイギリス人ウィルモア卿やイタリア人のブゾーニ神父らの証言により、マルタ島生まれの青年ザコーネが銀鉱を発見し大金持になった経緯が明らかになり、当面の敵という認識はやわらぎますが、どうもまだ落ち着かないようです。

モルセール伯の舞踏会において、夫人メルセデスは、モンテ・クリスト伯が決して食物を口にしないことに気がつきます。メルセデスはそれを確かめようと、モンテ・クリスト伯を温室にいざないます。ブドウも桃も、彼はかたくなに辞退し、決して口にしようとはしません。息子アルベールがモンテ・クリスト伯を尊敬する様子を身近に知るだけに、エドモン・ダンテスの悲劇の真実を知らないメルセデスは、かつての婚約者として悲しみ、アルベールの母親として恐れます。

いっぽう、ヴィルフォールの家では、不幸の種子が芽を出し、棘のつるを家中に伸ばしていました。まずサン・メラン侯爵が急死します。孫娘ヴァランティーヌの幸福を願う侯爵夫人はフランツ・デピネー男爵との結婚を急がせますが、夫人もまた急死。診察したダヴリニー医師は、屋敷内に毒殺犯人がいると警告しますが、ヴィルフォールはひた隠しにして手を打ちません。このあたりも、「他人には法の正義、自分には都合」を優先するヴィルフォールの性格が現れています。

マクシミリヤン・モレルを愛するヴァランティーヌは、父と祖母が命じたフランツ・デピネー男爵との結婚に窮地に陥りますが、不随のノワルティエ老人の劇的な暴露により父の死の真相を知ったデピネー男爵は憤然として去り、辛くも危機を脱します。このあたり、革命から帝政、そして王政復古へと変動するフランス政治の激動期にあって、一貫して揺れ動くことのないノワルティエ老人のすごさが浮かびあがります。

そして、もう一人の敵フェルナンが成り上がったモルセール伯にとって致命傷となる最悪の知らせが東方より届きます。問い合わせたのは、娘ウージェニーの嫁ぎ先をアルベールからカヴァルカンティ子爵に変更するため、父モルセール伯を陥れようとしたダングラールでした。もちろん、それらの情報の出所はただ一つ、ねらいが復讐にあることは言うまでもありません。でも、モルセール伯を狙った砲弾は、メルセデスとアルベールの生活をも破壊せずにはいられないのです。

これで、全集版第2巻の終わり。以後は、第3巻において急展開します。


【追記】
全14回の記事にリンクを追加しました。
(1), (2), (3), (4), (5), (6), (7), (8), (9), (10), (11), (12), (13),(14)

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エルガー「チェロ協奏曲」を聞く

2006年12月09日 09時51分16秒 | -協奏曲
通勤の音楽として、ここしばらくの間はずっとエルガー(*1,*2)の「チェロ協奏曲」を聞いておりました。今日は、CDを車から自室に移し、比較的大きな音量で、のんびりと聞いております。

演奏は、ピエール・フルニエ(Vc)、アルフレッド・ウォーレンスタイン(*3)指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。1966年にベルリンのUfaスタジオで録音されたものだそうです。ステレオの音量を上げても耳障りでなく、当時のアナログ録音としては高い水準を保っているCDだと思います。

チェロ独奏はピエール・フルニエ。私にとっては、ジョージ・セルとともに録音したドヴォルザークのチェロ協奏曲(*4)や、リヒャルト・シュトラウスの「ドン・キホーテ」などの名演でなじみ深いチェリストです。このCDでも、堂々たるチェロの響きを堪能することができます。

アルフレッド・ウォーレンスタイン(1898-1983)は、アメリカ生まれの指揮者で、1943年から56年まで、ロスアンジェルス・フィルハーモニー管の音楽監督をつとめています。現代の音楽に理解を示し、ハイフェッツらと親しかったそうで、アメリカ生まれの指揮者がメジャー・オーケストラの音楽監督に就任した最初の例とのこと。この協奏曲の録音の頃は、68歳になるのでしょうか。

第1楽章、アダージョ、モデラート。チェロの力強い独奏で始まる音楽は、意外に親しみやすい主題です。
第2楽章、レント、アレグロ・モルト。高音域を、独奏チェロがまるでヴァイオリン・ソロのようにめまぐるしく動き、素人目にはいかにも難しそう。
第3楽章、アダージョ。解説書によれば、愛妻「キャリス」は「本当の森の響き」だと評したそうですが、確かにそうですね。ただし、苔むした老木が重なり合って倒れている奥秩父のしめった森ではなく、冬になると葉を落とし春の芽吹きが美しい東北のブナ原生林のような、ややかわいた森。
第4楽章、アレグロ。第1楽章の主題が出てきます。独奏チェロとオーケストラの低弦パートが一体となる部分もあり、実演ではソリストの至福の表情が見られそうな音楽です。

楽器の中で、チェロの音色は特にお気に入りの一つです。第1次大戦が終わったばかりで、映画「心の旅路」の舞台となった頃の1919年に初演という時代を考えると、ずいぶんロマンティックな音楽ですが、それでも弓でレガートに奏するだけではなくて撥弦楽器のようにリズムを強調する部分などもあります。このあたりには、20世紀初頭という時代の影響を感じます。久々に、いい音楽を新たに知ることができました。

写真は、先月撮影したものですが、山形県庄内町(旧立川町)の風力発電の風車群。以前、プロジェクトXで放送・紹介されたことがあります。一度真下から見上げたいと思っていますが、なかなかその機会を得ません。携帯CDプレイヤーでエルガーの音楽を聞きながら、この風車群を真下から眺めてみたいものです。

(*1):Wikipedia より、「エルガー」の項
(*2):「プラムの部屋」より、エルガーの生涯と音楽の親しみやすい紹介
(*3):Alfred Wallenstein - An American Conductor at 100 (英文)
(*4):フルニエとセルのドヴォルザーク~「カール・ライスターの一番印象深かった録音」
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コーヒーと直射日光

2006年12月08日 06時37分44秒 | 健康
中高年にコーヒーが苦手な人がいます。たいていは、コーヒーを飲むと下痢をするとか、おなかが痛くなるから、というような理由をあげることが多いようです。うまいソバでも、アレルギーで命取りになる人がいるわけだから、もしかするとコーヒー・アレルギーというのもあるのかもしれませんが、これほどの比率とは考えにくいでしょう。

かわって考えられるのは、インスタントコーヒーの酸化です。中高年は、若い時代にインスタント・コーヒーの登場を知っている世代です。そして、酸化されて固くなったようなインスタント・コーヒーを飲んでおなかをこわした経験を持っている人が多いのではないか。それを「コーヒーが古くなっていたから」とは考えずに「自分はコーヒーが苦手な体質」なのだ、と考えた可能性は充分にあります。

コーヒー豆を煮出し、乾燥させて成分を粉末にする。簡単に言うと、これがインスタントコーヒーの製法でしょう。お米でも、玄米なら比較的長期保存がききますが、ご飯は長期の保存には不向きです。同様に、生の豆なら何ヶ月でも持つでしょうが、焙煎したコーヒー豆や煮出した成分粉末の保存は注意する必要があります。

(1)光(特に直射日光)と空気を遮断できる密閉容器に入れる。
(2)高温多湿を避け、冷暗所に保存する。

ということでしょうか。直射日光が物質を変化させるという現象は、特に波長の短い青や紫色光、紫外線の領域で顕著です。カップラーメンでも、油が変質する可能性があります。そんな保存の注意は、あまり見た(意識した)記憶はありません。経験を通じて得た知識です。便利さは伝えられるが、かんじんのことは伝わりにくいようです。
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渡辺和『クァルテットの名曲名演奏』をもとに、室内楽を聞く

2006年12月07日 06時53分18秒 | -室内楽
寒い日が続きます。暖かい部屋で、室内楽を楽しむにはかえって良い季節かもしれません。私のブログは、室内楽の記事の比率が比較的多いほうかもしれませんが、それでもまだまだ耳にしたことのない曲が多いものです。先年、田舎の小さな書店で、渡辺和著『クァルテットの名曲名演奏』という本を見つけました。現在も出ているのかどうかわかりませんが、音楽之友社のオン・ブックスという新書判の本です。

著者の渡辺和さんは、ブログ「やくぺん先生うわの空」(*)も主宰する音楽ジャーナリストで、軽妙な筆致で室内楽を主なジャンルとして活動されている方のようです。本書の構成もおもしろいもので、

第1章 これがスタンダードだ
第2章 ここまでは押さえたい
第3章 まだ聴きたいとおっしゃるなら

という章立てになっています。そして、示されている内容も、たとえば第1章なら

ハイドン「ひばり」「五度」「皇帝」、モーツァルト「ハイドン・セット」全6曲、ベートーヴェン「ラズモフスキー・セット」「第13~15番」、シューベルト「死と乙女」、スメタナ「わが生涯より」、ボロディン「夜想曲」、ドヴォルザーク「アメリカ」、ヴォルフ「イタリア・セレナード」、ドビュッシー、ラヴェル、バルトーク「第3~5番」、ヴェーベルン「五つの楽章」、ベルク「叙情組曲」、ショスタコーヴィチ「第8番」、バーバー

という具合です。第2章には、ベートーヴェンなら作品18、シューベルトなら「ロザムンデ」、メンデルスゾーンの第2番と第3番、シューマンの作品41(前3曲)、ブラームスの3曲、ヤナーチェク「ないしょの手紙」といった具合に、定番とは言いがたいが次に親しまれているものが解説されています。

こういう本は、CDを集めたり次に聞く曲を選んだりするときの手がかりになるという意味で、コンパクトでたいへん便利なものです。今朝は静かにハイドンを聞いておりますが、「まだ聴きたいとおっしゃるなら」という挑戦的な(?!)フレーズにつられて、エルガーやディーリアスやマックス・レーガーなどの渋いところや、クルタークやシュニトケなどの音楽に興味を持ったりすることが、今後あるかもしれませんし。

(*):「やくぺん先生うわの空」
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デュマ『モンテ・クリスト伯』を読む(9)~復讐の布石

2006年12月06日 06時43分23秒 | -外国文学
寝る前に少しずつ読み進めているデュマの『モンテ・クリスト伯』、もう何度目かの再読なので、ストーリーは頭に入っています。その分、復讐の布石が着々と打たれていく様々なエピソードが興味深く感じられます。

たとえばマクシミリヤン・モレルを愛しているヴァランティーヌ。ヴィルフォールと先妻の娘ですが、ヴィルフォール自身の告白によれば、エドモン・ダンテスを冤罪に落とすまでは良かったが、あの後は辛く苦しい日々だった、とのこと。様々な秘密を暴く可能性のある敵を封じることに汲々として、検事総長という現在の地位を築いたのでしょう。もっとも、これを告白した相手が、結婚早々に不倫をはたらいた相手のナルゴンヌ侯爵未亡人こと、現ダングラール夫人なのですから、何をかいわんや、ですが。

さて、中風で寝たきりとなったノワルティエ老人が、孫娘ヴァランティーヌを、父ヴィルフォールの押し付ける結婚から救おうとしてとった措置は実に興味深いものです。公証人を前にまばたきによってその意思を示し、老人のかつての政敵の息子であるフランツ・デピネー男爵と結婚するのならば、90万フランの遺産を相続させないと遺言するのです。まばたきでイエスとノーを示すことができれば、意思の表明は可能だという可能性は、現代のコンピュータ技術により、まばたきを通じて意思を表明し会話することができる装置に結実していますね。

さて、義父ノワルティエ老人の措置は、継娘の死後に溺愛するアホ息子エドゥワールへの相続につながる可能性を示し、ヴィルフォール夫人にとっても重大な関心事でした。実は全く逆の目的で、夫人はヴァランティーヌとデピネー男爵との結婚に反対するのです。

印象的なエピソードの一つ、信号機の事件の章には、ほろ苦い味があります。園芸を趣味とし生きがいとする初老の男の小市民的な平和の前に示された、ただ一度の不正という誘惑。このあたりは、一時は巨額の財産を持ち、後にそれを蕩尽した作者の身辺で見かけた風景なのかもしれません。

銀行家ダングラールは、夫人が内閣情報官リュシアン・ドブレーと組んで行っていたインサイダー取引による投機の失敗で手ひどい打撃を受けます。損失を取り返そうとあせるダングラールに与えられたチャンスは、オートゥイユの家で紹介された詐欺師カヴァルカンティ侯爵父子(?)でした。

かつてヴィルフォールの義父サン・メラン侯爵の持ち家であったパリ郊外のオートゥイユの家では、豪華な晩餐会が行われますが、そこでモンテ・クリスト伯はヴィルフォールに対して、庭に赤ん坊の死骸が埋めてあったと告発します。告発を受けた検事総長ヴィルフォールこそ、実は未遂に終わった嬰児殺しの犯人であり、出産した母こそかつてのナルゴンヌ侯爵未亡人であり現在のダングラール夫人でした。この夫人の不誠実・不行跡も、唖然呆然愕然級のしろものですが、それを承知で金儲け一筋の銀行家ダングラールもやっぱり悪党です。そして、ベネデットもカドルッスも悪党ですね。

だが、ヴィルフォールは重大な決意をします。かつて自分が嬰児を埋めた箱は持ち去られていた。だから、モンテ・クリスト伯が発見するはずがないのです。モンテ・クリスト伯とは何者なのか、検事総長は自らの権力にかけてその正体をあばくことを誓うのでした。


【追記】
全14回の記事にリンクを追加しました。
(1), (2), (3), (4), (5), (6), (7), (8), (9), (10), (11), (12), (13),(14)

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エルガー「愛の挨拶」を聞く

2006年12月05日 19時10分35秒 | -室内楽
年末は何かと気ぜわしくあわただしいのですが、こういうときに室内楽の小品を聞くとほっとします。たとえばエルガーの「愛の挨拶」など。

1888年に作曲されたこの曲は、もともとピアノ曲だったそうですが、ピアノ伴奏つきのものや、オーケストラにも編曲されているとのこと。私がよく聞くのは、「ヴォカリーズ~ヴァイオリン名曲集」(*)というタイトルのチー・ユン(Vn)と江口玲(Pf)の演奏(DENON COCO-70458)と、最近入手したグラモフォンのパノラマシリーズから、エルガー作品集です。こちらはギル・シャハム(Vn)とオルフェウス室内管弦楽団の演奏(UCCG-3807/8)。

解説によれば、なんともチャーミングなこの曲、結婚を前にアリス・ロバーツ嬢に捧げるために書かれたのだとか。ところが献呈はキャリス嬢になっているそうで、実はキャロライン・アリス・ロバーツ嬢の愛称が「キャリス」だった、というおちがついていました。

音楽は、若者らしい愛と善意にあふれたもので、聞いているあいだはしばしの幸福な時間となります。チー・ユンが速めのテンポで演奏する「キャリス嬢」は、さしずめ美しいが気も強く、喧嘩するとこわそうなお嬢さんでしょうか。室内オーケストラをバックにしたギル・シャハムの演奏を「キャリス嬢」にたとえれば、相対的には遅いテンポで、育ちがよく気分の安定したお嬢さん、といった感じです。

田舎の貧乏なヴァイオリン教師だったエルガーは、この作品をわずかな金額でショット社に売ってしまいましたが、同年に出版されたこの小品は実によく売れたのだそうです。チャップリンの映画みたいですが、世の中はえてしてそんなものですね。でも、大金持ちになるだけが幸せではないと思いますです、ハイ(^_^;)>poripori

■チー・ユン盤 2'23"
■ギル・シャハム盤 3'03"

そういえば、チー・ユン盤については、以前に取り上げたことがあります。演奏している曲目などは、こちらのとおり。
(*):チー・ユンの「ヴォカリーズ」を聞く
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雪が降りました

2006年12月04日 23時35分48秒 | 季節と行事
昨日の朝、起きてみたら初雪が降っておりました。当地では、例年よりすこし遅い初雪だそうです。このブログの記録を見るだけでも、2004年の12月19日には「まだ初雪が降らない」、2005年には上旬にリンゴに雪が降っている写真が掲載されており、11月中の雪は、近年では2002年だけかと思います。
雪が降ると通勤はたいへんです。毎年のことながら、除雪も一苦労。でも、ニュースでによれば小国町では昨日だけで60センチ以上の積雪があったとか。それを思えば愚痴は言っていられません。
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世界ふしぎ発見、森山栄之助の番組を見ました。

2006年12月03日 17時33分13秒 | -吉村昭
12月2日、土曜の夜、本当は9時から始まるはずの「世界ふしぎ発見」、珍しくテレビを見ようと待っていたら、なかなかバレーボールが終わらない。30分近くたってからようやく始まりました。この番組、例によって「山形時間」で一週間遅く放送されているのかもしれませんが、この日は幕末の通詞であった森山栄之助を取り上げていました。
吉村昭の『海の祭礼』(*)で描かれた物語は、こんなストーリーです。

ネイティブ・アメリカンの血を引くラナルド・マクドナルドは、幕末の鎖国日本へ渡航を企て、とらえられて長崎へ送られる。片言の日本語を紙に書いて覚えようとしていることを知り、オランダ語通詞・森山栄之助は、彼に生きた英語を学ぼうと決意する。次第に意思が通じあえるようになると、ラナルドと森山らの間には不思議な友情が生まれるが、鎖国日本には彼の居場所はなく米国に送還されてしまう。やがて、英語に堪能な森山らは、開国を迫る米国海軍の提督ペルリや総領事ハリスらと厳しい交渉を重ねることとなる。いわば、幕末の日米交渉の全経緯は、鎖国日本にただ一人たどり着いた青年ラナルドと森山栄之助との友情がまいた種の上に成り立っていたのだった。

この骨格だけを取り出し、本筋とはあまり関係のない薀蓄をクイズにした番組でしたが、日米和親条約の原本をテレビカメラがとらえ、そこに「Moriyama Einosuke」という署名があるのを実際に見ると、不思議な感動を覚えます。

この物語を題材に、別の記事(*2)にしたこともありますが、再読するたびに発見のある、興味深い小説だと思います。

ところで、番組で紹介していたペルリの肖像が、まるで宇宙人のようにとらえられている話は、鎖国日本の情報伝達のしくみを考える必要があると思います。つまり、中央から回付されてきた文書や絵図をそっくり写し取り、原本は次の村に回し、写しを村人に伝える形で情報が伝達されたというのです。それならば、写しを取る人の技量が伴わず、伝言ゲームのように異国人の姿が妖怪のように描かれる場合もあったことでしょう。

黒船来航の地から遠く離れた出羽国に伝えられた水師提督ペルリの像は、いささか歌舞伎役者ふうですが、だいぶいい男に描かれておりました。これはたぶん、かなり原本に近いのでしょうか。

(*):吉村昭著『海の祭礼』
(*2):なぜ英語を学ぶのか?
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新しい手帳を購入する

2006年12月02日 13時56分30秒 | 手帳文具書斎
現在使っているポケット型の綴じ手帳と以前十年ほど使ったシステム手帳。以前も記事(*)を書きましたが、それぞれに一長一短があり、新年にどちらを使うべきか、しばらく悩んでいました。

■ポケット型綴じ手帳
(1)スリムで上着の内ポケットに入り、携帯に便利。また、行事で両手があく。
(2)手帳カバーをすると札入れ兼用で使え、持ち物の数を減らせる。
(3)各種のカードや参照用のデータを常時携帯することはできにくい。
(4)記録が時系列で残り、記憶をたどるのが容易に出来る。
(5)スケジュールがたてこんでくると、月単位の薄型手帳の記入欄は小さ過ぎるが、週単位の手帳は厚くなる。
(6)アドレスはPHSに登録されているので不要、ダイアリーとメモと年齢早見表くらいあれば足りるので、多種多様なリフィルは不要。
(7)ThingsToDoなどは横罫メモページを使えば良い。
(8)夏の衣類はポケットが小さくて入らないため、カバンやセカンドバッグなどが必要になるが、デジタルカメラやPHSを常時持ち歩くことができる。

■システム手帳
(1)各種カードの携帯に便利で、常用データをプリンタで印刷して参照しやすい。
(2)スケジュールがたてこんでいるときも、ウィークリーにデイリー・リフィルを挟み込んで、使い分けられる。
(3)ペンホルダーに筆記具を一緒に携帯できるが、ちょうどよい太さで書きやすい筆記具はなかなか見当たらない。
(4)バインダーを札入れ兼用に使うことができ、財布を別に持たなくとも良い。
(5)夏冬通して手に持つため、上着の有無にかかわらず手持ち習慣になる。
(6)デジタルカメラやPHSなどを入れたセカンドバッグも一緒に持つと、逆に手荷物の個数が増えて不便。

そんなわけで、手帳の件はセカンドバッグと一緒に検討する、としておりましたが、先日、文房具店で上着のポケットに入るサイズの小型バインダーを発見。パイロットのスリム・バインダー。定価が1500円と、試しやすいお値段なのもありがたい。同じえんじ色のぺんてる社のボールペンが、あつらえたようにぴったりサイズです。軸が細身なので書きやすさは劣りますが、ふだんはパワータンク(*2)の太字もポケットに入れていますので、筆記で不便を感じることはないでしょう。上着を常用しない夏場は、デジタルカメラやPHS、USBメモリなどと一緒にポーチに入れて持ち運びできそうです。ぴったりサイズのボールペンと一緒に、試しに購入してみました。今年いっぱいは現在の綴じ手帳で行きますが、来年はこの小型バインダーを使ってみようかと考えています。

(*):手帳とバッグ~楽しくも悩ましい問題
(*2):メモは記憶力の減退をカバーする
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