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(ガジュマルの黄色い枯葉)
琉球王府時代に芸能者はいなかった。士族層が芸を担い、歌・三味線を極めていった。←従来の説!
琉球の芸能にとってがその根にあった大和の芸能とは異なると書いた沖縄のこの間の男性芸能研究家の嘘がわかった。
遊里に身売りされた少女たちが担っていった芸能こそが琉球の芸能者としての姿になったのだ。そして彼女たちの存在があってこその琉歌であり、歌・三線が極められ、女舞踊の形象化がなされたのだね。美らジュリこそが焦点だったんですね。恋の歌の多さは、遊里の美らじゅりの存在が大きい。卑下され蔑まれ、遺棄されそれでいて王侯貴族に愛され、薩摩の在番と愛を交わし、子を儲け、生きていった女たちがいた。
続きを書いたけれど、これは論に取り入れたいから、ここでやめることにした。琉球王府時代の芸能者とは誰か?遊里の女性たちである。彼女たちは芸を乞われて間切に招かれた。芸能者として承認されていたのだね。冊封使のための役人芸とも異なった。
文化的同化と異化、その止揚が問われている。
ああ、念仏踊りも京太郎もあった。ジュリ馬は同系列だね!