志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

「国際親善の裏に差別」←「絶対倫理」←被害者であり加害者であることを主張する大城立裕さん!

2016-06-06 14:35:47 | 表象文化/表象文化研究会

絶対倫理とは何か?加害者であり被害者であることのなのか?
加害者であることも被害者であることも許さない立場なのだろうか?

私は被害者でありかつ加害者である。矛盾を見据えることなのでしょうか?

暴力、米兵の暴力、米軍基地の潜在的暴力、軍隊の暴力、国家の暴力、制度の暴力、教育の暴力、家族の暴力、会社の暴力、友人の暴力、恋人の暴力、夫の暴力、親の暴力、人間を奴隷化する悪の暴力、大企業の暴力、メディアの暴力、映画の暴力、あらゆる表象の暴力、この世界は暴力にがんじがらめにされたシステムの中にあるという内在・外在暴力、暴力とは何か?装置である。人間が生み出してきた装置である。その装置で人権が守られその装置で人間が虐待を受け加害をも行える装置である?!

シモーヌベーユだったか、すでに人類が生み出した神話体系に膨大な暴力システムが物語りとして君臨するのである。表象、現象を語るのは容易い。根っこにあるのは何だろう。表象の中にも溢れている暴力、復讐が満ちている組踊もある。復讐の背後に血が流れている。美しい衣装で見えなくしているだけのことか?暴力とは?感動する物語り、音楽、詩、絵画の中に暴力が満ち満ちている。暴力装置をのがれることはできない。多かれ少なかれこの世に生きるということは暴力装置の中に生きる、生きていることを意味する。

絶対倫理は→相対倫理に変わりうるか?敵・味方、殺す・殺される絶対的極地で、究極の意識、善意・美・良識が生き生かされるのか?個人の欲望・貪欲・サバイバルの価値[競争】だけが残されるのか?死を超えて存在するもの、死者が永遠の存在になりえるのはなぜか。暴力ー非暴力ー襲うー襲われるー無化する力の根はどこ?想像力、彼を彼女を自分と同じように愛する?彼はわたしで彼女はわたしで世界のすべての人々はわたしでわたしは世界のすべての人々である。【昼間のつぶやき】ここからどこへ?論文仕上げなければー。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。