「トートーメー万歳」は、確か沖縄芝居実験劇場の第三回公演として1989年7月、沖縄市民会館で上演された舞台も、また紀伊国屋ホールの舞台も観た。記憶違いではないと思うが、紀伊国屋では大きな赤い位牌が冒頭に登場して驚いた。
仏壇が登場し、位牌となった孝太郎の顔が仏壇の真ん中にあって、生身の人間のように自在に動き回る現代喜劇は、いわば戦後沖縄の風刺でもあり、社会の骨幹にある深刻なトートーメー問題を照射している。トートーメーと、お墓、財産問題は現在に続く根の深い問題であり続ける。それを笑いに包みながら多くの舞台公演を続けた「沖縄芝居実験劇場」の情熱(パッション)には勢いがあった。残念ながら21世紀になって、幸喜良秀演出家と大城立裕コンビの作品が、新作組踊の方へと収斂していった。「沖縄芝居実験劇場の歴史、その作品、そして舞台」についてはしっかりまとめられるべきだろう。
名優の真喜志康忠さん、北島角子さん、間好子さん、兼城道子さん、北村三郎さん、皆さん他界された。
「トートーメー万歳」初演の間 好子、北島角子、兼城道子、伊良波晃、北村三郎、宮里京子の舞台の印象は強い。今回、新たなキャスティングで二回公演が『世界のウチナーンチュ大会』関連イベントとして上演されたことは、意義深い。ハワイ帰りのオジーも登場する舞台は、移民県ならではの沖縄の物語である。会場での暖かな雰囲気の笑いは、中にはブラジルやハワイ、ペルー、アルゼンチンなどからやってきた観客も混じっていたに違いないと思う。
さて今回の舞台は、お母役の玉城静江さんが、間さんや北島さんに勝るとも劣らない演技で魅了した。また孝太郎とお父役で東江裕吉さんが独特な雰囲気で二役を演じた。東江さんの役者としての力量は高く評価されるべきだ。なぜ彼は沖縄タイムス芸術選賞・演劇大賞に推挙されないのだろうか。今回出ずっぱりの役回りだが、安定した演技を見せた。
一方で伝統芸能の綺羅星、佐辺良和さんは、ミスキャストだった。長身で美男、琉球舞踊世舞流二代目家元であり、組踊で主役を演じている佐辺さんは、声も達者で琉球歌劇の花形役者でもある。どちらかと言うと背丈のない金城真次さんたちが出せない舞台の美を醸す立役だ。その彼を北村三郎さんが演じていた信次郎の役で抜擢した演出家の目は曇っていたに違いない。
言葉遣いも違和感が起こり、年齢によるキャラクターの演じ分けも厳しく、また衣装にしても、現代的で「ウチナーンチュというより、ヤマトンチュのイメージだね」と、知人の優れた舞踊家は感想を漏らしていた。
佐辺さんは、最後の場面で台詞が変えられている箇所、オリジナル脚本では、稔の台詞を演出の嘉数さんが信次郎に語らせている重要なところで、言い間違いをしていた。「稔はお父にもお祖父にもあったことはないのに」のお祖父のところをお母にも、と言ってしまった。
台詞のトーンに時代の言葉の味わいを出すために苦労したことがうかがわれた。それは今回演じたみなさんが、初演の芝居の重鎮の芸からどう学び、それを乗り越えるか、試されたのだ。
通し稽古が足りなかったのだろうか。
死んだ孝太郎の妻・ハル(伊良波さゆき)と妾・藤子(花岡尚子)は初演の役者の演技を一生懸命学習したことが感じられた。年齢による役柄のメリハリはさゆきさんに軍配があり、花岡さんはもっと年齢の変化を感じたかった。言葉の抑揚による聞き取りやすさがもっとほしいとも感じた。夏子(伊波留依)は現代劇ははじめてだろうか。チャキチャキと軽快に演じていた。
「いったぁアンマーまぁかいがー べーべーぬ草刈いが ベーベーぬまぁさ草や 畑の若ミンナ」(べーべーぬ草刈いが)は藤子がオリジナル台本では歌っていたのだろうか?彼女が歌ってもいいと思うのだが~。過去のデータは動画を観たい。
AIのようにすべての記憶〈記録)がデータ化されているわけではないので、初演や、再演の舞台データ(録画)を検証して今回の舞台との比較するのは研究の領域になる。
暖かな笑いが会場を包んでいた。決して満席ではなかったが、発見があったのは良かった。トートーメーとお墓、財産相続について、昨今とてもいい修士論文を読んだので、改めて大城立裕作品を捉え返したいと考えている。