(10月25日、ベランダから見た夕焼け)
あのね母が80歳半ばになってとても怒りっぽくなっているのよ。ことばが荒くなっているというか、とても理知的な母親だと思ってきたのでびっくりなのよ、と話しかけると、友人は興味深い話をしてくれた。
彼女の高校の同級生のご両親はとても仲がよくて、お母さんはおしゃべりで、よく話をするのだけれど、お父さんはお母さんの話の中身に耐えられなくて、というのも繰り返しが多くなったり愚痴があったりで、それで車の中で寝たりとかもあったんですってー。ある日車に逃げこむお父さんをおいかけてドアの玄関を開けたのだけど、怒ったお母さんは傘で殴ろうとしたんだって、そうしたはずみに転んで玄関に頭を打って眉間から血が流れたのね、びっくりして電話したのは救急車ではなくて警察だったのらしい。
警察がやってきてお母さんは病院に運ばれたのだけれど、事情を話してもお父さんは一晩刑務所に入れられて、その後納得してもらったらしいけれど、病院で治療したら、つまりCTスキャンなどを含め精密検査したら、なんと前頭葉がスカスカになっていたらしいの。そのままお母さんは治療のために入院し老人ホームのようなところへ移ったのだけれど、壊れた蓄音機のような状態が知情意のバランスの欠如ということだったのよ。年を取るとその辺も気をつけないといけないね、と娘たちは納得したらしいわよ。
わぁ怖いわね。気がついたらすべて脳の仕組みだったってわけね。
そういえば老人ホームに入ったら、みんな同じ顔になるみたいね。これも怖い話ね。老人ホームに入ったら病気になるという話も聞くね。元気な内は自分の家でゆったり暮らした方がいいのよね。
この老人施設の話もゾッとした。人は否が応にも老いていく。死も避けられない。順序よく永遠の眠りに入っていく。全くこの生身が消え去り焼かれて骨が砕かれ小さな骨壷に入れられ、位牌に戒名が刻まれる。それでエンドかな?そうでもないのが盆の営みだが、墓が永遠の住処とは、なぜかロマンがないね。永遠の住処はどこにあった方がいいのだろうか?わたしの永遠の住処を考えよう。
老いて男も女も子供に回帰するとはよく聞く話だ。感情が溢れでてバランスが取れなくなってくるのも身体の作用、身体の中の脳細胞。すべての脳細胞の働きなのかもしれない。そして人間の関係性の在り処なのだろう。あなたはいい関係性を生きていますか?あなたは愛を全うしていますか?愛は多様で不可思議で、義務で、絶対で、孤独でかつそこからこぼれる仄かな恋もある。慈しむ心の根、ことばが湧き水のように流れる対話をもてる愛の渇望はまだ希望《明日》があるのだと考えていよう。
詩集にこめられた孤独の叫び、人は乾いた川をまた泳ぎ続ける。それも生きている実存!
老女がブツブツ文句を言っている。
4人の老女がブツブツ、笑いながらもブツブツ言っている。
あのね、そうして、ひどいのよ、全く、あてにならない、でもね、などと
話している。
4人でいるとストレスが解放されるらしいよ、と彼女が云う。
そう、今4人だね。憂さ晴らししたから印刷室に行くね。
明日またユンタクしよう!
(久しぶりに撮った夕焼け)