志情(しなさき)の海へ

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多良間の八月踊りから宮古島へ

2010-09-17 10:38:18 | グローカルな文化現象
9月14日から16日まで多良間島、予定では17日に多良間からフェリーに乗り、そして宮古島から那覇へ戻る計画が、台風銀座の島ゆえに(台風11号が直撃の予報)、16日にフェリーで宮古島に戻った。

せっかく民宿丸宮で宿泊して、塩川の芸能を最後まで見る予定がキャンセルになってしまった。民宿丸宮の代表者・本永清一さんは、電話の声が印象的な方で、実際お会いしたご本人も夏場に民宿を手伝っているという息子さんもいい雰囲気の方々だった。お礼に息子さんから多良間フェリー船乗り場入り口で「多良間黒砂糖10袋入り」を買った。

本永さんによると台風が多いので、「多良間に1週間いる覚悟がないとね」とのことだった。フェリーが出ないケースが多いようだ。島の港とその周辺の水域がフェリーに不都合があるとのことだった。

港までの車内で埋葬の話になり、多良間では火葬がないとの事だった。ゲストの千葉から来た方は利根川周辺でも埋葬がまだあると、話した。埋葬文化は沖縄だけではない!東京で女優さんをしているという女性は興味シンシンの様子だった!

週日だったせいか、「去年より観光客は少ない」と、島の特産物を祭り会場近くで売っている婦人たちが話していた。(ところで、多良間の芸能はつい最近まで女性たちは排除されていた!)

帰りのフェリーで平敷屋エイサー保存会の名誉会長・宮城松生さん、平敷屋朝敏貧家記研究会・会長の大城清一さん御一行とお話する機会があった。宮城さん、大城さん、事務局長の東 武さんから朝敏関連のお話をうかがった。多良間島と平敷屋との結びつきは深いようだ。以前朝敏生誕300年記念の年に多良間島に渡り、里主墓の前で慰霊祭がなされた。「手水の縁」も公民館で上演された。今回時間がありそうで、なかった。ゆっくり里主墓や御嶽を回る余裕がなかったのである。残念、何度でも来たい島だ!

朝敏生誕記念で多良間を訪れた時、フォート・グラファーの花城勝子さんに初めてお会いした。そして彼女はもうこの世にいない!人生の無常を感じる。「いっしょに本を出したいね」などと、フェリーの上で話したのだった!仲筋の祭り場でプロの手並みで写真を撮っている勝(まさる)という名前のKさんに会った。勝子さんを思い出さざるを得なかった。ヤマトンチューで沖縄大好きの方、ものすごくいいカメラを持って懸命に撮っていた。組踊などの写真を送ってくださることを約束してくださった。感謝!

彼は撮った祭りの写真をすべて無料で多良間村役所に差し上げているとのことだった。一方、ネットでご自分の撮られた写真を業者に売ったり、レンタルしている方もおられた。楽しみながら写真を撮りそれでまた生計を立てている。多良間の島はまるごと、ある意味でまた現在の流通情報社会の商品である。

島の人々の思いを汲んだ芸能が、閉ざされた海の壁の中で熟成され、保存され、維持され、継承され、少しづつ時代の変容を加味しながら現在に至る。そして世界無形遺産としてユネスコに日本国から候補になって推挙された。ユネスコの認定がいつになるか、まだ、未定だが、その方向へと島は向かっている。

世界遺産に認定された後の島はまたどんな変貌を遂げるのだろうか?

イチャリバチョーデーの精神は鵜の目鷹の目、無数の視線に晒されながら、かつたくましく、島の根っこを耕しながら泰然として「島そのもの」を生きていくのかもしれない。認定は規制もともなう。その中で、窮屈ではない、おおらかな島の芸能が、永遠と民衆の心を沸き立たせる命のよりどころになることを今はただ念じよう!

(仲宗根豊見親の墓・鬼虎退治の組踊「忠臣仲宗根豊見親組」の鬼虎が豪快で良かった!)

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