志情(しなさき)の海へ

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フランセンス・マンマナから受けた衝撃!アルゼンチンの神父は告解した若者を権力に引き渡した!

2011-02-02 10:05:22 | 政治の潮流
民衆の熱いデモンストレーションが国の独裁者を粉砕していく光景には希望が感じられる。未来は虐げられた者たちのものなのである。既得権益の上に居座る者たちの嘘寒さは、大学でも見え隠れしているが、ともかく、軍と政治権力、宗教権益、知識人層の三つ巴の中にあるものの正体とは?何だろう。

フランセスの話の中で、かつてアルゼンチンが独裁体制にあった時、多くの学生・若者が教会で告白をして、その中身が神父によって時の権力に密告され、多くの若者が処刑された、という衝撃的な語りが今でもこびり付いている。

フランセスは他者として沖縄の文化にかかわり、コミットしている中で見えてきた事柄を語っていた。女であることの視点、そして彼女はシングル・マダーでもあった。組踊の世界に対しても男性中心のヒエラルキーがやはり気になったようでもあった。朝薫にしても役人で冊封使のための歓待芸能としての組踊である。男たちの権力システムの中から編み出されてきたものに変わりはない。それゆえにまたお役人であって、恵まれた環境で使命感の中で創作されていった大城立裕さんの作品やスタンスにも批評的視点をもって話していた。それがとても印象的だった。彼女が取りあげたテーマがマルムンであり、つまり琉球の一般大衆の視点を代表する者たちについてまとめたのである。

貴女の学問への情熱、演劇へのPerforming arts全体への心粋にいつも火照りを感じていたのである。残念!でもしかし、でもしかしと悔しさが増していく中で、私はどう向き合えばいいのか、問われる。死がいつ訪れるかわからない中で、人はそれぞれに宙づりの生をまた生かされている。でもしかし、でもしかし、でもしかし、そう続けよう!

でもしかし、あのXXXにはないモノを、そう、フランセス、ことばで写真で映像で残していくね!あなたの心粋を忘れない!いっしょに真喜志康忠氏の病室を訪ねた時の写真も送っていなかった!でもしかし、わたしはまだ彷徨っている中で、一筋の道を、形にしたいーー。

XXXにはない何かをね!

<写真はとても寒い夜、羽化せんと懸命に闘っているオオゴマダラ>

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