(辻遊郭の芸妓たち)
真喜志康忠さんが以前よく話していたことば。「美らかーぎーの女性にはジュリ小のグトーサー」がほめ言葉だった。美らジュリは美しかったのだね。
丁寧な資料の提示の中からある真実がこぼれてくることがある。それにはっとさせられることがある。それを確かめるためにまた聞き取りをするのだが、どうも資料に語らせるのだという帰納法的な研究の中からしみ出てきた事柄に驚いている。どんなにことばを飾っても、嘘はつけないのだということが分かる。漏れ出てくるものに耳を澄ましたい。すぐれた論文を前に、思っていることだが、彼らは綺麗に見せようとしても、それが金メッキだとわかってしまう。(これに関しては論で論証していくつもり)
あるいは、以下のようなことばがある。
「私は男性の踊る女性の舞踊、女性の躍る男性舞踊に感動したことがあまりない。おそらく異性を過剰に意識するがために作為的になった所作のせいだと思う。そこにある種のいやらしさを感じてしまうことがある。」
「見た目は女性だけども、女性の中にある男性性、女性の中にある女性性を両方行き交うところ、つまり中性といってもいいけれども、それを表現する、演出する術を舞踊家はもっているということですね。」
いずれも崎山多美さんのことばだが、高嶺久枝さん、喜納さんとの鼎談のような「沖縄的身体」の所在ー舞踊と文学における言葉の接点である。一部なるほどと納得できるが、上に引用したように、矛盾も浮き上がる。女性が踊る男性舞踊(若衆や二才踊り)、男性が踊る女踊り(古典や雑踊り)に感動しないと言い切る崎山さんである。女性だけではなく、男性にもまた中性の部分があるのも事実だろうが、彼女は女性舞踊家の中性性を語り、女性舞踊家は女性舞踊を男性舞踊家は男性舞踊を踊る時、最も自然で美しいと感じている。つまり琉球沖縄の女形芸や男形芸に対して斜に構えているということである。
この鼎談の彼女たちは芸能史の推移をあまり意識せずに話している。戦前までおよそ270年、芸能を担ってきた遊里の女性たち、また女形の芸の実態を見据えて語ってはいない。つまり片手落ちということですね。踊る身体性はもっと時系列に見ないといけないと、感じている。近代以降に変節した古典踊りですよね。雑踊りが逆に古典を変容させたかもしれない。花風→古典女踊りの変容の可能性は大だね。一人踊りは近代以降ですね。
崎山さんの発言は、つまり御冠船→古典踊り(若衆、二才、女踊り)のジェンダーの同一化が好ましいということであり、かなりラディカルな発言をされていることになる。沖縄の古典舞踊なり「組踊」の伝統芸への挑戦である。崎山さんは凄い方ですね。男は男が、女は女が演じる方が好ましいということである。ただし、わたしは女性芸能者たちが継承してきた芸を、若衆芸、二才、古典女踊り、雑踊りにしろ、表象としての両性具有性で捉えることができないか、考えている。女性の身体が男装して男性の思いを飄々と踊る、はありえる。男の身体が女装して男の思いを女の思いとあえて解釈をして女を踊る(女形芸)のもありである。身体の両性具有ではなく表象(造形)としての両性具有性がそこに立ち現れている。
書きたかったことは「ジュリ小ぬぐとーさー」である。この真喜志康忠氏が残したことばの持つ意味は大きい。戦前まで美らかーぎーは「ジュリ小のグトーサー」である。美しい古典女踊りの女性のイメージもまた美らジュリのイメージである、と結論にしたい。ほんとうは、革新的なあることばをもってきたいと思ったのだが、それは論稿の中で論じた方がいいと思って、ここでは控えることにした。SORRY!