元旦の二つの災害ゆえに2024年の幕開けは暗い。
元旦から地元の新聞を再講読することになったゆえに、最近は毎朝新聞を読むのが日課になった。以前のように切り抜きも始めた。
2020年1月、末期癌の家族が永眠したと同時にコロナパンデミックが世界を覆い始め、大学の授業がオンラインになり、世界がひっくり返るような状況に陥った時、テレビや新聞を家の中から放逐することにした。
つまり私が持っているネットデータの情報とテレビや新聞の報道にあまりにも乖離があった故である。まったく新聞を読まないというわけではなく、図書館でも新聞は読めたことは読めたが~。以前ほどの関心は持てなかった。
オンラインによる分断と同時にその後コロナ感染を治癒する目的で、半ば強制的に見えた行政やメディアのプッシュでワクチン接種が始まった。
アクセスしている海外のデータは全くワクチンを推奨していなかったので、むしろその危険性が危ぶまれていて、其の後の3年間、息がつまる日々だったのは確かだ。若い大学生たちへの接種奨励に心が痛んだ。情報を鵜呑みにしないこと、よく調べて、すべてに懐疑的になって、何が真実なのか、見極めて決断した方がいいねと、話したのだが~。
そして今だに、この社会の世界の事実や真実の扉は曇ったままだということが
わかる。池澤さんのエッセイは共感、受苦、共苦を訴えている。
しかし、淡々と描かれている事柄は、異様さを伝えている。おかしいのだ。
「災害は上から降ってくる。下から湧き上がる。普段は安楽に暮らせると思っていても、足元には活断層がある。これが人間が生きる条件なのだ。」と最後に締めくくっている。他に言いようがなかったのだろう。
元旦の地震、元旦の羽田の飛行機衝突事故、の異様さにまず驚く。何か仕掛けられているのだろうか、事実関係や真実が見えているのだろうか。原発もある石川県である。当初の地震波も自然災害の地震波と異なり、地震の震源の深さは10Kmだった。そして原発の心配があり、道路が封鎖され、素早い修復作業も遅れている。与野党の党首はれいわの山本太郎を除いて現地入りを躊躇、おかしい状況の推移が伝わってくる。
どこかおかしい能登半島地震について、池澤さんはもっと言及し、受苦、共苦だけではなく、この「災害の素顔を見据えること」を書かれても良かった。
これはけっして偶然降ってきた地震ではなさそうだ。
SNSの「X]では多様な発信がなされている。事実(FACT)と真実(TRUTH)を見極めなければならない。単なるショックドクトリンではない、もっと空恐ろしい企みがなされているようで、気が重たい。
例えば、輪島市はハワイのマウイ島での災害現場に類似しているのだ。
自然環境を自由に操作できる文明の利器は、自らの社会、そこに生きている人々をまた襲うのらしい。