(男装の少女の踊り、異性装の踊りをまた趣向してきた眼と耳があった!)
去年UKで発表した論考がまとまった形で論として認められたのは嬉しかった。でもまだ手直しが必要なようだ。沖縄の芸能史の一つの流れが世界の演劇史に照らされていくのは単純にいいと思う。一つのパズルが埋められていく。今論文をまとめるのに古代ギリシャを見ていた。沖縄の芸能を見据えるとき、2000年も前の古代ギリシャを見るという時間の流れが、面白いといえば面白いと感じている。その悠久の時間を越えた普遍性があったということでもあるが、それを見ていた先駆者がいたことに驚く。伊波普猷は優れた知性・感性の持ち主だった。
伊波は英語も堪能だったのだね。伊波と語学についてどなたか書いていただろうか?伊波の全集だけではなく伊波の批評をしっかり読まなければで、読んではなかった。伊波の知性はやはり優れていたのだ。
どの時代もその時代の秀逸な知性人を生み出すに違いない。暴発する人殺しの祭典さえなければ、殺す行為による競争と利害の収奪がなければ、話し合いなり共存共生のための仕組みを作っていくならば、大量の人殺しを犯すことなく、人類が類として生き延びる知恵の塊が大いに要求されているはずだが、殺し合いが人類の動物の性であり本質だとの認識で人と人が向き合ったら地獄を引きずって奈落に落ちていくイメージしか浮かばない。そして脱出、逸脱の空間だ。将来は宇宙へ逃げる人々ということになるのだろう。←と、どうも飛躍していく思考。