女立ちも近代以前と以降、徐々に変容なんですね!板谷 徹先生が沖縄芸大で研究されていた女踊ですが、村芝居の中の形態からオリジナルの姿を求める研究でもあったと推定できますが、近代の名優、親泊興照さんや宮城能造さんの踊りを見ても女踊...
時代と共に変容していった琉球舞踊の歴史は矢野輝雄さんの『琉球舞踊の歴史』以降まだ書き換えられていませんね。どのように形が変わっていったのか、時代の諸相と照らして捉えられたらいいですね。まだまだ戦後の型の研究が主ですね。しかしちょっと鈍いですね。花風から古典女踊りは変わったと考えています。首里の氏族の女性とのイメージですが、近代以降の琉球文化を蔑んできた方々が、さらに遊郭の女性たちの芸を蔑み、侮蔑したのですね。でも彼女たちの美しさが古典女踊りに反映されているのですね。皮肉です。池宮先生など芸能者はいなかったと書いていますね。芸を切り売りした方々がいたのですね。京太郎や念仏踊りも芸を切り売りしたのですよね。遊郭でも芸は商品だったのですよね。芸と美が廓では花(ジュリ)でしたね。それを上澄みの形と美を求める方々は否定するのですね。←偽善が主流になっていくのですね。戦後料亭の踊り子たちを否定していったのは当時のエリート層なんですね。しかし明らかに女形の理想はXXXXだったんですよね。ことばからもれてくるなかに真実がこぼれていますね。真実を見据えるのは痛いですね。痛くても言葉にしなければです。