(つぶやき)
権威の中軸に集約されていく志向のありかは、自らの出自への拘りなのだろう。侍、百姓だけの階層で成り立っていた琉球・沖縄社会で、例えば自らのルーツ探しのハワイ4世、5世は侍ではなく、百姓の側の父祖のルーツにまた立ち止まりつつも、探求に余念がない。士族層の母系統と百姓の父側の系統を熱心に手繰り寄せる。DNAの差異は少ない。わずかどの人種でも0.2%、しかしその数値は何億なのだとすると、距離は深いのかもしれない。しかし同じ類である。ルーツ探しのロマンがありルーツ探しの闇と幻想の領域がある。
そして「沖縄の系図はみな尚家に結びつくのでしょう?」の発言がある。支配者階層、国の中軸にすり合せて行くアイデンティティーの模索は、幻想や願望をのせていかようにもまた改変させられていく。嘘も真実になり、現在の生の基盤、誇りへの応援歌になっていく。人は観念的な生き物である。無数の幻想の雫に生き生かされている。XXゆえに、命の証を永遠の価値にまで高めていく。宗教に終焉(収斂)される構図は多様に散りばめられているということになる。されど、系図の図書は角川から出版される。売れる本の厚さだ。人間の属性の願望を汲み取った編集である。きっと彼らはそれを有用する。そして一長一短のため息の中で、自己証明の時間の旅が続く。私とは誰?貴方は何者?の問いかけが絶えることはない。
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http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2015/04/05/151516山猫日記・三浦瑠璃さんをリンクした。辺野古に関しては反対姿勢だと理解した。翁長さんや県民の主張を受理したほうが政権にはいいのだと解したが、すでに徴兵制についても研究がなされている東大シンクタンクである。辺野古に拘泥することのマイナスをもっと三浦さんたちは論証したらいいと思う。日本の生き残りを真剣に憂い、未来のベクトルをさし示す学術集団ならばー。
エスノセントリズム(英: ethnocentrism、自民族中心主義、自文化中心主義)とは、社会進化論者ウィリアム・サムナー (William Graham Sumner) の造語で、自分の育ってきたエスニック集団(族群)、民族、人種の文化を基準として他の文化を否定的に判断したり、低く評価したりする。対して多文化主義や多元主義などがある。普遍志向もそうだね。グローバルスタンダードはキリスト教を中心とするアメリカ原理主義者たちの思考だろうか?