『クレオール主義』は2001年の出版だから、16年前になるんだね。ふと今福さんの『群島ー世界論』が気になって、本棚を見ると『クレオール主義』があった!以前献本でやってきた本だったのだ。以前論文を書くときに読んだ覚えがあるが、ぺらぺらめくると、付箋が付いていて、あらためて今福さんの斬新さに思い至った。
郡島論は、以前2010年だったか大坂大学で国際学会が開催された時シンガポールの研究者が郡島論で島嶼のパフォーミングアーツを論じていたことが思い出された。ポールさんは今はオーストラリアの大学で、2月にフィリピン大学で開催された学会ではフィリピン大の研究者とまさに島嶼文化圏のフィリピンでの文化活動について報告していた。
ところでWomanistは★黒人のフェミニスト、あるいは有色人のフェミニストのこと。普通は強く、大胆不敵で勇敢で、強情な態度。---端折るが、責任を持つこと、厭わず引き受けること、真摯であること
★同時に、他の女性を、性的にそして/あるいは非ー性的に愛する女性。女性の文化を、そして女性の情緒的柔軟性を正しく認識し、優位におくこと。女性の力を評価すること、。ときに、個としての男性を、性的に/そしてあるいは非ー性的に愛する。男も女も含め、すべての人間の生存と連帯に力をつくす。---人間の世界はすべての色の花が集められた花園のようなものーー伝統的な意味で信念の普遍論者
★音楽を愛する。踊りを愛する。月を愛する。神や聖霊を愛する。愛情を愛し、食べ物を愛し、厳正さを愛する。苦労を愛する。人間を愛する。彼女自身を愛する。困難を厭わない。
★ウォマニストとフェミニストの関係はパープルとラヴェンダーの関係と同じ
★場所の意識。(略)流動し、押し流され、抵抗する自身のからだと精神の位置をはっきり見定めることーー真摯で豪胆な叡智、主体の実践(トリン・ミンハ)、位置の政治学(アドリエンヌ・リッチ)、ウォマニズム(アリス・ウォーカー)
ヴァージニア・ウルフ「私たちは女であれば、母を通して過去を考える」
今福竜太『私たちは混血であれば、母を通して未来を考える」
ME 「私たちは人間であれば、父母を通して過去と未来を考える」???
*******************〈備忘録〉転載です!https://blog.goo.ne.jp/nekonekoneko_1952/e/e8686a349b1b3fa086265821cf0119a3

今福龍太『群島–世界論』(岩波書店、2008年)
越川芳明
原稿用紙にして千枚を超える、おそらく今福龍太の代表作になるはずの大著だ。
だけど、そう言いきってしまうことは、著者の企図に反するかもしれない。
なぜなら、本書で、今福はシャーマン(語り部)のごとく、おびただしい数の死者(詩人、映像作家、思想家、ミュージシャン)の霊を呼び出し、その声を引き出しているからだ。
今福が死者の声に拘泥するのは訳がある。
一つには、「自分たちが生きていると感じるためにこそ、私たちは死者を必要とする」(ルーマニアからの亡命詩人コドレスク)からである。
そして、奴隷船から大西洋やカリブの海に投げ捨てられた無数の黒人奴隷をはじめとして、「歴史」から見捨てられた人々の「救われなかった舌=ことば」をかり出し、それらを世界規模で繋ぎあわせることによって、従来のヨーロッパ中心の、「他者」を疎外する世界像を反転させられると信じるからだ。
本書は全二十章からなるが、それぞれの章が海に浮かぶ群島のごとく、独立していながら隣り合う章とゆるやかにつながる。
整然と書かれた「歴史」とは対極にあり、国家が推奨する国家語や国語に対して、ダイアレクト(方言)やクレオール語で語られたり書かれたりしたことばの響きや霊気に重きを置く。
ウラ(心、浦、裏)や、シマ(島、集落、縞)など、ことばの類推(アナロジー)に誘われて、北米ミシシッピデルタ、カリブ海、アイルランド、奄美、済州島、ブラジル、ガイアナなど、従来の世界地図の上に、コロンブスの航海に始まる植民地主義、その近現代版ともいうべき資本主義的国家主義の「征服」と「収奪」の犠牲になった者たちの抵抗と連帯の糸線を縦横無尽に引きながら、群島の縞模様を織りなす。
特質すべきは、新しい世界ヴィジョンのために採用されたユニークな叙述法である。
それは、例えば、この地球の「本質」は「水」にあると捉える思考に導かれて、十九世紀北米のソローや古代ギリシャの哲学者タレース、折口信夫、島尾敏雄、ダーウィンなどを「島」と見立てて渡り歩くような、通常はあり得ない空間錯誤(アナロキスム)と時間錯誤(アナクロニスム)を意図的に採用する「誤読」の方法論だ。
本書は、近年に刊行された人文学・思想系の書物でこれを凌ぐものはないと断言できるほど重要な作品であり、私は大いなる知的な刺激を受け、かつ読書の興奮を覚えた。
(『エスクァイア』2009年4月号31頁を改訂)