#Me tooについての特集トークだが、英語字幕があるので中味にコミットしやすい。韓国は大統領がその運動を支持するなど、すばやい対応があるのに対して、日本の動きは鈍い。なぜ?ノーベル賞候補の韓国詩人がセクハラで訴えられている。大学教授、医者、演出家などなど、あらゆる権力を施行する側の男性たちが、追及されいる。
[Foreign Correspondents] Ep.76 - South Korea's #MeToo Movement _ Full Episode
https://www.youtube.com/watch?v=jb9vy8No--A
https://www.youtube.com/watch?v=Np1rlnYCpDQ
ジェンダーパワーーギャップの大きさがこのような運動が起こったという話。
伊藤詩織さんの件に関しても、日本の動きは鈍い。韓国大統領がこの運動を支持する韓国に対して、日本は総理大臣の友達のジャーナリストがセクハラ(准レイプ)を犯しても、法的に守られる状況だ。なぜだろう?
沖縄でもメディアを含めて賞賛している某詩人がセクハラする場面を見たが、また知人もセクハラまがいの行為を受けたことがあり、それを沖縄文化チェーンメールに投稿したことがあった時、紛糾したとのことである。男性達(ジャーナリストや大学教員など)はその男性に同情的で、批判する者(女性)が白眼視される潮流があったようだ。今でも?その沖縄文化チェーンメール(沖縄芸大の教員が主催)からも彼女は排除されている現況が続いているのらしい。大学でのセクハラに関して、沖縄内の大学は大学の名誉(経営)を守るために秘匿する傾向があるようだ。←具体例はいろいろ。
ジェンダーパワーのギャップはあり続ける。#Metooが一時的なブームではなく持続的に恒常的なパワーポリシーを是正していく方向へ進んでいったらいいね。どこでもメタファとしての怪物が住んでいる!
*************(以下転載です!)備忘録:韓国でノーベル文学賞候補として高名な詩人がセクハラで訴えられた!
高 銀(コ・ウン、1933年8月1日 - )は、韓国の詩人、作家。本名は高 銀泰(コ・ウンテ、고은태)。
韓国の報道機関では2002年ごろからノーベル文学賞候補者」として毎年候補者に名を挙げられている[1][2]。
来歴
1933年、全羅北道群山(現群山市)に生まれる。群山中学校中退。1952年、慶尚南道の古刹海印寺に入山し、一超という法名を授かる。僧侶生活を送るなか、1958年に「肺結核」を発表した。1960年、初の詩集「彼岸桜」を発表。直後に還俗し、本格的に作家活動を開始する。
創作活動の一方で社会活動にも参画し、朴正煕政権下の1970年代には、当時獄中にあった金芝河の救援活動を行うなど、民主化運動に取り組む中で複数回にわたって投獄され、拷問によって片耳の聴覚を失った(その後の手術により回復)。
1980年には金大中(当時は在野の民主化運動家)らとともに国家保安法違反で逮捕され、懲役10年の判決を受けた。1982年、刑の執行停止で出獄した後も韓国論壇を代表する存在として投獄中の作家や芸術家の釈放運動に取り組んだ。1988年、『創作と批評』誌の万海文学賞を受賞。現在まで南北朝鮮の作家や芸術家の交流に力を入れており、南北作家会談の代表団長も務めている。韓国芸術総合学校で教鞭もとる。
2000年6月の南北首脳会談の際には金大中大統領に同行し、南北両首脳の前で統一への思いを詠んだ詩を朗読した。また2014年には京畿道水原市に建立された慰安婦像の除幕式に出席し、詩を捧げた[3]。
2017年には朴槿恵政権を退陣させて、積弊精算を公約とする文在寅新大統領を生んだろうそく集会[4]に積極参加し、それに関わる詩も発表していたことで韓国では今年こそと期待されていた。韓国ではノーベル賞発表まで、度々騒がれている韓国文学を代表する人物として尊敬されていた[5]。
しかし、2017年末に女性詩人のチェ・ヨンミが新しく発表した詩作の中で、高銀の名前を「ウン」と隠しながら、かなり前から常習的なセクハラを行っていたことを告発した。チェは「彼(高)は常習犯であり、彼による被害を受けたことやセクハラを目撃したことが複数回ある。被害者が数え切れないほど多い。」と暴露した。別の男性詩人は同月7日の深夜頃に自分のフェイスブックで、高銀の罪を知っておきながら韓国文学のトップに祭り上げたマスコミや文学関係者なども共犯だと韓国自体の問題であると批判した[6][7]。この事件を受け、ソウル市はソウル図書館内に設置された、高銀の書斎を再現する空間「万人の部屋」の撤去を決定した[8]。←韓国の民主主義やジェンダー意識は高いね!
女性が主体、agencyになれないのはなぜ?と論じているね。すでに環境・社会の中で女の子が何にでもなれる可能性をもっているにもかかわらず、ピンクが好きな女の子、青が好きな男の子のようなジェンダー化が赤ちゃんの時からなされている事例も問題になっている。人間としての尊厳の問題。知的領域でも男性たちの無意識のジェンダーパワーの誇示があちらこちらで見られるこの社会。男女問わず、既成概念から解放される時代になっていくのが理想だが、属性としての歴史の痕跡もあり続けるのだろうか?