今頃研究発表の中身にコミットしている。いつもながらの手際の悪さに唖然とする。本番は30分の発表に10分の質疑である。その埋め合わせのための研究発表の中身が問われる。先行資料を読んでいる。そして新しい問題提起をしなければならない時、はたっとして、沖縄のいいかげんさとテーゲーの悲しさに面喰っている。
先月5月15日、日本復帰記念日に国立劇場おきなわで【御冠船踊の世界】の舞台があった。【忠臣身替の巻】である。とても面白いと思った。立体的なのである。左右の横ではなく縦の目線で見れたのが興味深かった。それは多良間の8月躍りや村躍り/村芝居につらなる感覚だった。しかしアフタートークで国宝の方々や研究者や国立劇場おきなわの関係者のコメントをお聞きして「おやっ?」と思ったのが、四間四方である。現代の人間の身体の大きさに合わせた、とかの池宮正治先生はおっしゃっていた。
御冠船躍りの復元が志向されて久しい。2年前に芸大の板谷先生が芸大の中庭で御冠船舞台の復元に挑戦されている。とても気になる事を板谷先生にお電話してお聞きしたら、彼の舞台はしっかり【三間四方】だった。しかし国立劇場おきなわの張り出し舞台は当初から四間四方だった。それは関係者がお書きしたネットでも読める文章からも明らかである。またインターネットの公式サイトもそう提示している。今まで意識してこなかったことが気になりだしてきた。
そこで組踊の系譜にこだわっているゆえにどうしてそうなったのかが気になりだしてきた。御冠船の舞台の復元を意図するのなら資料にそってしっかり三間四方にすべきではないのだろうか?【現代の人間の身体の大きさ】に合わせたなんて、とんでもない発言を研究者はおっしゃるべきではない。お能の三間四方の舞台でイェィツの【鷹の井戸】の舞台が国立能楽堂で公開された(実際去年見た)。また三間四方の舞台でシェイクスピア能が上演される時代なのである。
沖縄のいいかげんさとテーゲーの姿が浮かんできた。なぜ?劇場のパンフレット【華風】に大城学先生が丁寧な解説を書いておられる。図面も紹介されている。見事な三間四方の図面である。しかし、変動が見られる。資料の中身を見ると必ずしも三間四方に拘らなかった様子が見え隠れする。天使館の舞台は三間と二間半、寅の御冠船の場合の仮設舞台は三間半と三間とやや長方形だという。そして大城先生は【舞台の大きさは四間半四方】と読みとることも可能だと結論づけている。三間四方はどうなったのだろうか?
多良間の8月踊りの舞台は三間四方だと池宮氏は論稿で書いておられる。この際村踊りの主だった村々に確認をしなければならなくなった。明治12年の廃藩置県以降にできた本式の劇場は三間四方である。そこで組踊などが那覇の庶民に披露されている。それが額縁劇場に変っていった。それが近代の帳である。そして時間を経て現代の時間軸の中で2004年多目的ホールのような、歌舞伎も上演できる「国立劇場おきなわ」が建立された。沖縄芝居も豪華に見えて、私語は厳禁と文書が配られる。大衆演劇である沖縄芝居の性格を無視した管理側からのお達しである。それを無視するのも庶民のパワーである、この拮抗が面白いと思っている。
張り出し舞台は四間四方である。もともと野外で御冠船の時は仮設舞台で上演された組踊である。それが屋内の劇場に推移していった。三間四方から額縁舞台へ、そして今その復元が模索されている。できた劇場は原型の「異形」であった!
やれやれ、あまり劇場について特別な関心をもってこなかったが、こんなに変動を経てきたことが面白く感じる。時代の趨勢とはいえ、これはいったい何だろう。今頃首をかしげている。
ただ近代以降特に明治39年から沖縄の劇場は衣替えしていく。そして名作歌劇や史劇が登場してきた。
ひとつ結論として言えることは、現在の国立劇場おきなわは折衷型だという事!本来の沖縄芝居の劇場としても欠陥があり、本来の御冠船の劇場としても欠陥があるという事である。この劇場は宜保栄治郎氏がおっしゃるように多目的ホールなのである。
さてどなたが主導してこの多目的劇場にしたのだろうか?
近代以降の額縁舞台の組踊ならそれでいいのかもしれない。沖縄芝居の劇場としては敷居が高すぎる。民俗芸能は本来、野の舞台でやられるべきである。ならば野外劇場を充実させるべきだ!
歌舞伎や他の伝統芸能の公演としてはいいのかもしれない。琉球舞踊はどうか?造花になっていないだろうか?もともと庶民の芸能であるはずの大衆芸能が、格式ばった芸能になっていくのはある面、痛みが伴ってくる。これはなぜだろう?素敵な劇場、されど劇場である。
希望は三間四方の固定した組踊劇場を沖縄県は建立することですね。首里の地に!
また沖縄芝居の劇場は明治から大正時代の桟敷席のある劇場でそこでお弁当も楽しく食べられる劇場がいいですね。
それは辻にどうだろう?戦前、辻遊郭界隈には劇場があったのです!
今頃の歌舞伎はお弁当も食べられたかしら?歌舞伎座で食べたことがあったがーー。もはや沖縄には桟敷席なんてないのですね。
復元は古き良き劇場であってほしい!
先月5月15日、日本復帰記念日に国立劇場おきなわで【御冠船踊の世界】の舞台があった。【忠臣身替の巻】である。とても面白いと思った。立体的なのである。左右の横ではなく縦の目線で見れたのが興味深かった。それは多良間の8月躍りや村躍り/村芝居につらなる感覚だった。しかしアフタートークで国宝の方々や研究者や国立劇場おきなわの関係者のコメントをお聞きして「おやっ?」と思ったのが、四間四方である。現代の人間の身体の大きさに合わせた、とかの池宮正治先生はおっしゃっていた。
御冠船躍りの復元が志向されて久しい。2年前に芸大の板谷先生が芸大の中庭で御冠船舞台の復元に挑戦されている。とても気になる事を板谷先生にお電話してお聞きしたら、彼の舞台はしっかり【三間四方】だった。しかし国立劇場おきなわの張り出し舞台は当初から四間四方だった。それは関係者がお書きしたネットでも読める文章からも明らかである。またインターネットの公式サイトもそう提示している。今まで意識してこなかったことが気になりだしてきた。
そこで組踊の系譜にこだわっているゆえにどうしてそうなったのかが気になりだしてきた。御冠船の舞台の復元を意図するのなら資料にそってしっかり三間四方にすべきではないのだろうか?【現代の人間の身体の大きさ】に合わせたなんて、とんでもない発言を研究者はおっしゃるべきではない。お能の三間四方の舞台でイェィツの【鷹の井戸】の舞台が国立能楽堂で公開された(実際去年見た)。また三間四方の舞台でシェイクスピア能が上演される時代なのである。
沖縄のいいかげんさとテーゲーの姿が浮かんできた。なぜ?劇場のパンフレット【華風】に大城学先生が丁寧な解説を書いておられる。図面も紹介されている。見事な三間四方の図面である。しかし、変動が見られる。資料の中身を見ると必ずしも三間四方に拘らなかった様子が見え隠れする。天使館の舞台は三間と二間半、寅の御冠船の場合の仮設舞台は三間半と三間とやや長方形だという。そして大城先生は【舞台の大きさは四間半四方】と読みとることも可能だと結論づけている。三間四方はどうなったのだろうか?
多良間の8月踊りの舞台は三間四方だと池宮氏は論稿で書いておられる。この際村踊りの主だった村々に確認をしなければならなくなった。明治12年の廃藩置県以降にできた本式の劇場は三間四方である。そこで組踊などが那覇の庶民に披露されている。それが額縁劇場に変っていった。それが近代の帳である。そして時間を経て現代の時間軸の中で2004年多目的ホールのような、歌舞伎も上演できる「国立劇場おきなわ」が建立された。沖縄芝居も豪華に見えて、私語は厳禁と文書が配られる。大衆演劇である沖縄芝居の性格を無視した管理側からのお達しである。それを無視するのも庶民のパワーである、この拮抗が面白いと思っている。
張り出し舞台は四間四方である。もともと野外で御冠船の時は仮設舞台で上演された組踊である。それが屋内の劇場に推移していった。三間四方から額縁舞台へ、そして今その復元が模索されている。できた劇場は原型の「異形」であった!
やれやれ、あまり劇場について特別な関心をもってこなかったが、こんなに変動を経てきたことが面白く感じる。時代の趨勢とはいえ、これはいったい何だろう。今頃首をかしげている。
ただ近代以降特に明治39年から沖縄の劇場は衣替えしていく。そして名作歌劇や史劇が登場してきた。
ひとつ結論として言えることは、現在の国立劇場おきなわは折衷型だという事!本来の沖縄芝居の劇場としても欠陥があり、本来の御冠船の劇場としても欠陥があるという事である。この劇場は宜保栄治郎氏がおっしゃるように多目的ホールなのである。
さてどなたが主導してこの多目的劇場にしたのだろうか?
近代以降の額縁舞台の組踊ならそれでいいのかもしれない。沖縄芝居の劇場としては敷居が高すぎる。民俗芸能は本来、野の舞台でやられるべきである。ならば野外劇場を充実させるべきだ!
歌舞伎や他の伝統芸能の公演としてはいいのかもしれない。琉球舞踊はどうか?造花になっていないだろうか?もともと庶民の芸能であるはずの大衆芸能が、格式ばった芸能になっていくのはある面、痛みが伴ってくる。これはなぜだろう?素敵な劇場、されど劇場である。
希望は三間四方の固定した組踊劇場を沖縄県は建立することですね。首里の地に!
また沖縄芝居の劇場は明治から大正時代の桟敷席のある劇場でそこでお弁当も楽しく食べられる劇場がいいですね。
それは辻にどうだろう?戦前、辻遊郭界隈には劇場があったのです!
今頃の歌舞伎はお弁当も食べられたかしら?歌舞伎座で食べたことがあったがーー。もはや沖縄には桟敷席なんてないのですね。
復元は古き良き劇場であってほしい!
自分は、只今夏休みの研究で組踊の研究をしています。
現在、組踊の舞台の図(「中秋の宴」の図版など)を探しておりまして、
この記事の、芝居小屋の図が参考になりました。
こちらの図はどの資料から出典したものでしょうか。
宜しく御願い致します。