(つぶやき)
普段信じられないことに思えるが、あの世とこの世の境界があり、そこを行き交う霊があると信じられているゆえにお盆の行事がある。
先日、神女と共に漫湖公園を歩いた。久しぶりのことで、誰かと連れだって歩くのははじめてだったので心ははずんでいた。一度彼女の眼でどう見えるのか、興味を持っていたが、それから一日、二日経って、彼女はもう二度とあの公園には行かない方がいいと言い切った。「XXには見えないかもしれないが、たくさんの霊が巣食っているよ。あれから家に帰っても身体が重たくて重たくて、たいへんだった」というので、驚いた。生きている限り、驚くことは続く~。
彼女はつまり見えるのである。「信じないかもしれないが、実は~」の話に身をのり出して聞いていた。一度だけではなく、あちらから彼女にやってくる物語の展開に、戸惑ったりするが、あながち嘘でもなく、実際に霊に誘われて歌・三線をもって出かける姿がある。それが霊に導かれるように連れ出されていくという現象があり、また例えば大きな総合デパートのトイレに入ると、そこに首を吊った女性の霊がぶら下がっていて、語りかけてくることもあるのだという話など、嘘のような本当の話で、トイレに入って中から鍵が開けられなくて困ったこともあった、という。不倫騒動で話題になった多目的トイレではなく、女性専用のトイレなのらしいが~。なぜ彼女たちには見えるのだろうか?
寺社仏閣ができたのは、成仏できない巷に彷徨っている多くの霊の存在があるからだ、とはいつぞや読んだ日本民俗詩だったと記憶しているが、つまり怨霊を鎮めるために御嶽があるのだという説を聞くと、それも嘘ではないのだろうと、単純に思っている。彼女の所を訪れる霊の存在があり、霊は何らかのメッセージを持ってくるようだ。
「またあまかい、ひかさりてぃ、いちゅさ」とは本音である。神女の世界、その人生にはまだまだ秘められたものが埋まっている~。ようやくある関係の綾の中身が分かってきた~。不思議に取り囲まれているこの浮世~。