志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

KJプランニングス「ザ・モニュメント 記念碑」←見たかったのですが、時間を間違っていました!

2018-02-04 16:47:45 | 沖縄演劇

          (小雨の中の白とピンクと椰子の群生)

沖縄演劇ではなく沖縄で上演される現代劇です。いい批評と舞台の紹介がネットで読めますね。今は舞台を見なかったことを後悔しています。頼まれた仕事、企画書、趣意書の作成などがあり、どうしょうかと迷っている間に公演時間をミスっていました!残念!

https://themonument14.webnode.jp/ ザ・モニュメント 記念碑

http://www.wonderlands.jp/archives/26360/#more-26360 ←小劇場レビューマガジン

KJプランニングス「ザ・モニュメント 記念碑」清末浩平↓一部転載させていただきます!謝!

 「いわゆる「政治と文学」(「文学」とは芸術の代表である)の問題は、日本の現代演劇において、まったく解決されていない。棚上げにされたまま忘れられてきただけである。芸術の自立性、おおいにけっこう。しかし、そんなことを言っている場合ではないのだ。そんなことを言っている場合ではないと、私たちは確かに、4年近く前に分かったはずだったではないか。芸術は現実に対して、力を持たねばならぬときがある。力とは何か。社会を望ましい方向へ動かす実効的な力、つまり、政治的効果である。もちろんこのように述べる私の頭の中には、ベンヤミンの言葉があるのだ。
 現代の日本の演劇に、『ザ・モニュメント 記念碑』に匹敵するほど効果を持った作品があるだろうか。私たちは反省しなければならない。そして、コリーン・ワグナーのこの戯曲が、発表されてから20年近く、1度も日本で上演されなかったことを、私たちは恥じなければならない。
 『ザ・モニュメント 記念碑』に描かれている世界が、現代日本のリアリティーからは遠い、などという言い逃れはまったく無効である。カナダの劇作家が、現に世界のリアリティーを描いてみせたではないか。演劇とは、自分ではない何者かの行動を代行することだ。ルプレザンタシオンの概念がいかに批判されようと、他者を代行するという点にこそ演劇の尊さがある。そして、他者を代行するための資格とは、何らかの手続きを経ることによってあらかじめ得られるものではなく、とにかく責任を引き受けながら代行してみた後で、事後的に判断されるものなのかも知れないということを、私たちはメイラの行動から学んでいる。実際、西田夏奈子は見事にメイラを代行した。神保良介は見事にステッコを代行した。できる者がいるのなら、とにかくしてみなければならない。」

清末さんのブログ(批評)が詳しいですね。昨日にでも読んでいれば、確実に那覇市大道のひめゆり会館に行けたと思うと、またの機会を念じるばかりです。小説も読んでみたいですね。

名護市長選挙の結果が気になる寒い2月4日です。公園の散歩で小雨の中、桜と目白さんに会いました!くりくりした目白さんたちが桜の蜜を吸って嬉嬉として飛び跳ねていますね。

ボクシングを久しく見たことがないのですが、今夜8時はOTVで実況される比嘉大吾さんの防衛戦を見たいですね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。