志情(しなさき)の海へ

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戦前玉城盛重は辻の芸妓として知られた16歳の上間郁子と1922年(大正11)に新天地劇場で「姉妹敵討」の舞台に出演なんですね!

2020-09-03 17:25:07 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他
      (琉球新報9月2日)玉城盛重さんは戦前から戦時中まで沖縄を代表する組踊役者として重鎮だった方です。沖縄では玉城流は勢いがあります。なぜか?玉城盛重も甥の玉城盛義も多くの辻の芸妓に舞踊を教えてきたからです。もちろん、多くの著名な沖縄の梨園の役者たちは辻のジュリ(娼妓・芸妓)と深いつながりを持っていました。琉球古典や民謡の大家の皆さんも辻に愛妾の女性を囲って、遊里の畳間でおおいに歌三線の芸を磨いていったのです。史実に蓋をしないことが大切ですが~。当時の沖縄のインテリ層や政界・財界のサロンも辻の妓楼の畳間だったのですね。

芸妓は女性なんですね。一般の女性が琉球舞踊にたしなみ舞台に立つことと、遊郭の芸妓が舞台に立つことと区別するのですが~。
遊里でも組踊が唱えられ畳の上でも演じられてきた琉球・沖縄芸能ですよね。ことさら芸妓の芸能(組踊や舞踊、歌劇など)を無視するのはなぜかなーと気になります。王府時代も明治以降もプロの芸人としての彼女たちは間切や村々に招聘されて芸を披露し、かつ指南をしてきたのですね。
 宮城能造さんの女形芸のモデルは辻の「うどぃんぐわ」です。つまり人間国宝(宮城能鳳氏)の師匠は芸妓を模倣したのです。沖縄の人間国宝の「女形の立役」の芸は戦前の辻の芸妓(踊り子)の踊りが模範になっているのですね!
  鈴木さんは、芸妓=女性ではないのですね。女俳優の鑑札を持って明治時代から大阪あたりにまで行って興行をしている辻の女性たちです。
  沖縄芝居役者=男性ではないのと同じでしょうか。ちなみに上間郁子さんは「執心鐘入」や「手水の縁」にも出場していますね。詳細は割愛します。


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