志情(しなさき)の海へ

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≪ケルトに学ぶ言語、文化、地域振興―「劇場と社会」を焦点に≫←海外調査企画ですが、可能ならば是非!

2016-06-14 20:35:45 | 沖縄文化研究

 【 Georgia O'Keeffe(American, 1887-1986) Apple Family 3, 1921:ハワイの知人から送られてきた絵葉書です。りんごの色に目が吸い寄せられて、「なぜか胸騒ぎがしたので」ここにUPです!】

提言:琉球大学等沖縄県内大学さま、沖縄県文化関連部局さま、沖縄のマスメディアさま

 これは去年、文部科学省科学研究費助成の海外調査部門に応募して見事「落とされた」企画です。「海外調査部門」は厳しくて以前「八月十五夜の茶屋」のテーマで応募した時も没になった苦い経験があります。幸い「八月十五夜の茶屋」は基盤研究(C)で3年の助成を3人で取り組むことが可能になりましたが、個人の海外調査研究は厳しいと実感するばかりです。この企画も評価は半分点ほどで、企画が欲張りすぎるとの声もあって反省多です。ただ今後沖縄のエスニック文化や言語の継承、保存、再想像、再活性化に向けて、どうしても多言語実践と文化の構築で先駆的な試みをしているケルト文化圏との交流を沖縄県や沖縄所在の大学が推し進めてほしいという希望を持っているゆえに、当初の企画案をブログで紹介することにします。この企画、アイディアが何らかの形で沖縄県から世界へ発信できるプログラムとして生かされていくことを念じています。

ケルトに学ぶ言語、文化、地域振興―「劇場と社会」を焦点に

研究目的:

2004年、待望の「国立劇場おきなわ」が開場し、10年を経た現在、沖縄では闊達に劇場公演が繰り広げられている。この間2009年2月、ユネスコによる琉球諸語の消滅危機言語認定がなされ、翌年「組踊」がユネスコによって「人類の無形文化遺産の代表的一覧表」に記載された。現在「国立劇場おきなわ」で公演される沖縄の伝統芸能は、そのほとんどが日本語字幕で提供されている。つまり琉球諸語の危機的状況は変わらない。沖縄県は2006年3月31日、「しまくとぅばの日」の条例を制定、琉球諸語の修復、活性化に向けた取り組みがなされたばかりだ。沖縄の伝統芸能のほとんどが琉球諸語に依拠するゆえに、その衰退は文化・伝統の保存と継承が危ぶまれることになる。翻ってケルト文化圏のスコットランド、ウェ-ルズ、そしてアイルランドの事例を見ると、特にウェ-ルズは英語とウェ-ルズ語が公用語だが、ウェ-ルズ語だけで上演される国立劇場を持ち、すでに学校教育にもウェ-ルズ語を取り入れている。アイルランドは、ケルト圏で唯一の独立国家で国立劇場アベイ座は独立運動の中心になった。アイルランド語(ゲール語)が作品の一部に取り入れられている。一方スコットランドは英語とスコットランド・ゲ-ル語が公用語で、世界中から参加者がやってくるエジンバラ演劇祭を毎年開催し、より拓かれた多様な祭りとグローバルな交流を目玉にしている。研究目的は以下に絞られる。

①   ケルト文化圏の「劇場と社会」の動向を沖縄と比較しながら現地で調査し、沖縄の劇場文化と地域文化振興に寄与する。

②   沖縄は政府から得た一括交付金を利用して沖縄文化紹介&観光誘致目的の舞踊作品や組踊をエジンバラフリンジ演劇祭やアヴィニョン演劇祭で上演する目的で昨今芸能集団を送り出している。沖縄が選抜して送り出す芸能団の実際の状況を同行取材(OR追跡調査)し提言する。

③   ケルト圏の代表者を招聘したケルト&沖縄地域文化振興シンポジウムを開催し、ケルト文化圏&沖縄文化友好協会を発足させ持続的交流に寄与する。

 ①   研究の学術的背景

 ケルト文化圏、とりわけアイルランドに関心をもったのは1970年代に遡る。当時琉球大学英語英文学科の学生だった頃、アイルランドのノーベル賞詩人イエイツ(William Butler Yeats)研究でPhDを取得されたばかりの米須興文先生の授業を受けた。氏の授業を通してシェイクスピアや現代詩を受講したのだが、その時始めて英国とアイルランドの関係性が日本と沖縄の関係性に類似することを意識させられた。英国の植民地だったかつてのアイルランド(エ-ル)の近現代史の状況は、1879年以降日本に同化包摂されていく沖縄の近代史と類似しているように見えた。

最も1609年の薩摩侵攻以来1879年までの270年間、琉球は王国ではあっても中国の冊封を受けかつ薩摩に収奪される弱小国だった。米須先生は大学のみならず新聞紙面でもアイルランド文化や政治について論稿を発表されていたので、アイルランドが強烈に意識化されていた。卒業して1年間研究生として残った時、ダブリンのTrinity College(University of Dublin)大学院に入学するために願書を出したところ入学は却下された。それから方向をアメリカに変えたのだが、留学資金がなかったので中高教員をして資金を蓄えアメリカの大学院で演劇を専攻することになった。1980年のことである。入学前に一度アイルランドのダブリンにあるTrinity Collegeやイエイツが生まれたスライゴ-、シング(John Synge)が作品に書いたアラン島を直に訪ねたいと思い立ち、東回りでアメリカ入りを決断して、アイルランドに立ち寄った。

ジョイス(James Joyce)がDubliners『ダブリン市民』に書いたダブリンは戦争で空爆を受けていないのできれいな町並みが残り、99%白人の住む国の貧しさを体験した時でもあった。沖縄の米軍基地がフェンスの外からまだ贅沢に見えた島からやってきたので、白人=裕福のイメージが強かったゆえに、アイルランドの貧しさに驚いたが、懐かしい雰囲気の石垣の積まれた農場風景が眼を癒してくれた。アベイ座で見たシングのゲール語混じりの舞台やイエイツが生まれた街Sligo (スライゴ)でスケッチをした事も忘れられない思い出だ。

その後アメリカ留学を経て帰沖後、沖縄で舞台の演出や批評をしながら大学で英語やEnglish Drama、演劇概論などを教えてきたが、その過程で改めてシングなどの作品を学生と読んできた。しかし研究対象は土着的な沖縄芸能、組踊や沖縄芝居に向けられた。アメリカで国際演劇科に属したゆえに西欧演劇との比較検証は常に頭脳の中でエコーしていた。

その後2003年にインドで開催された国際演劇学会に参加する機会を得て沖縄のPerforming Artsについて国際学会で発表するようになった。インドの学会で発表したのが“Okinawan Drama: Its Ethnicity and Identity under Assimilation to Japan” Ethnicity & Identity-Global Performance (Rawat Publications, 2004)である。沖縄の文化を対象化する時、その多文化性(混合体)も重要だが常に同化と異化とその脱構築あるいは再構築という弁証法的な推移を見据えざるをえない。

2004年、思いがけずトヨタ財団から研究助成を得た。それが契機となって京都産業大教授鈴木雅恵さんと共同研究「世界の中の沖縄演劇―女優の表象を中心とした考察」が可能になり、2007年、沖縄で日本演劇学会「秋の研究集会」を開催することができた。またヘルシンキで開催されたIFTR/FITR学会のワーキンググループで研究報告ができた。

本題の「劇場と社会」は2009年度から2011年度にかけて「組踊の系譜―朝薫の五番から沖縄芝居、そして『人類館』へ」の科研研究に取り組んだ時、強烈に問題意識をもって取り組む事になった。その発端は、現「国立劇場おきなわ」が琉球王府時代の御冠船舞台として復元した舞台が屋根付きの四間四方である、ということへの疑問だった。1838年の戌の御冠船や1866年の寅の御冠船の舞台は三間四方の舞台である。その件について当時国立劇場専務理事宜保栄治郎氏や芸能研究者の池宮正治氏など関係者の答弁は、「現代人は身体が大きくなったから」といういい加減さだった。

2012年3月、当時「能楽学会代表・日本演劇学会会長」の天野文雄先生を基調講演にお招きし、「劇場と社会~劇場に見る組踊の系譜」のシンポジウムを沖縄県立博物館・美術館講堂で開催した。その全容は報告書にまとめた。シンポジウム『劇場と社会』の趣旨に筆者はスコットランドの演劇人、ジョン・マグラスの言葉を引用した。「演劇そのものが、社会が自らの姿をそこに映し出しながらも自らを定義しなおす場であり、そこは作り手のみならず観客も参加するパブリックフォーラムなのである」(『舞台芸術』p104)と氏は強調する。つまり「演劇/劇場それ自体が社会的であり、政治的な存在である事を免れえない」のである。其の点、「国立劇場おきなわ」のありようとその歴史的推移(活動)はリトマス紙のように「沖縄の文化」の現在を指し示している。

社会の記憶装置かつ文化装置であり、パブリックフォーラムである「国立劇場おきなわ」は多くの女性観客層が詰め掛ける盛況をみせている。定期的な組踊上演を中心に沖縄芝居、琉球舞踊公演、さらに民俗舞踊、諸外国の芸能と盛んである。そして肝心なほとんどの伝統芸能は日本語字幕付きである。

琉球諸語、中でも首里・那覇語中心の言語が沖縄伝統芸能の軸であり、その言語があまり理解されていない。というのが現実である。其の点に関して2014年9月17日-19日、FEL国際危機言語学会の大会が日本で始めて沖縄コンベンションセンターと沖縄国際大学で開催された時、

筆者はDo Surtitles of Traditional OkinawanTheatre Contribute to Language Revitalization in Okinawa in General?

 のタイトルで研究発表し、「国立劇場おきなわ」で日本語字幕を担当している方のインタビューも報告した。

「言語と文化」そして「アイデンティティ」の問題に先駆的な事例を示しているのがケルト文化圏である。なぜケルト文化圏であり沖縄との比較研究が必要か、のテーマ(課題)になってくる。文化も含めて事大主義的傾向を持つ沖縄の近現代史は、明治12年に日本に併合されて以来多様な変質・変容を経て現在の形に到っている。その中心になるのは琉球語であり、沖縄独特の8.8.8.6のリズムを持つ琉歌と古典や民謡の音楽である。その伝統芸能は戦前卑下されていたゆえに、つまり上位文化が日本中央文化であり、特に共通日本語の習得による完璧な皇民になることが求められていた。

琉球芸能、沖縄芝居や民謡など土着の文化に嗜むことは、は社会的成功(出世)の真逆に考えられていた。現在盛んな歌・三線、エイサーも抑圧されていた時代を経ての現在だが、米軍占領の27年間の内、戦後の10年間は伝統回帰で伝統芸能の復活がなされたが日本復帰への運動が高まる中でまた日本同化の潮流がやってきて、1972年の復帰後新たに小さな反動でまた伝統芸が見直される動向があり、1980年代の多文化主義、エスニシティー、ポストコロニアル現象を注視する思潮の中で、自文化に誇りを持つに到った沖縄の近・現代史の流れがある。

琉球諸語の継承を含め、沖縄の伝統芸能や文化を大胆に世界に拓いていく方向性を見た時、ケルト文化圏が先駆的なモデルとして迫ってきた。

 ②  この研究の学術的特色・独創的な点・および予想される結果・意義

筆者は現在多言語社会研究会の会員である。比較演劇論やパフォ-マンスとジェンダ-の視点から琉球大学の人文社会科学研究科(地域比較文化専攻)に在籍し、博論をこの春には提出する予定である。地域比較文化研究を専攻して、タイ、ラオス、台湾、中国、ブラジル、カナダ、アルゼンチンなどからやってくる若い博士課程後期の大学院生たちの多様なテーマからまさにポストグローバル地球社会の状況や問題の知見を得たが、何より言語と文化の関係が切実だと考えている。其の点毎年9月18日、沖縄の「しまくとぅば大会」に顔を見せる『ケルトの水脈』の著者原 聖先生や『〈辺境〉の文化力~ケルトに学ぶ地域文化振興』のシンポジウムを鹿児島で開催し、とてもいい報告書にまとめた鹿児島大の梁川英俊先生のこの間のご研究からケルト文化の意義を教わることができた。

2011年1月29日、鹿児島大学で開催された『ケルトに学ぶ地域文化振興』のシンポジウムの全日程に参加し、ケルト文化圏を代表する方々と親交を深めることができた事が、今回の研究プロジェクトを考える基盤になっている。鹿児島大が大胆にブルターニュ、コーンウォールを含めた5つのケルト文化圏の代表を招聘し地域文化振興とからめてシンポジムを開催することができたのに、言語と文化の面で非常に沖縄と呼応しあえるケルト圏の皆さんとの交流がこの間沖縄でほとんどないという事実があり、ぜひ実現させたいという思いがある。

恩師米須興文先生が代表となってアイルランド&沖縄友好協会が以前発足したがいつの間にか活動が全く途絶えている。筆者は現在大学の専任教員ではないので大学の予算で企画することは難しい。それで科研で申し込むことにした次第である。今後ケルト文化圏と沖縄の文化交流が促進されていくことは、言語と文化実践に長けているケルトの歴史的、社会的文脈を取り入れることになり、それが『劇場と社会』のテーマに限らず沖縄、ひいては日本の多文化・多元性国家の豊かさにもなりえると考える。

 以上はあくまで企画案で『没』になった思案である。今後どなたでも関心ある方が生かしていけたらいいなーと期待をこめて、UPします。

研究計画・方法(概要)は詳細は書いているが、ここでは開示しないことにしました。多様な企画が可能かと思います。今後またこのような企画で研究助成に応募するかどうか、今のところは保留状態です。できれば県や大学が率先してプロジェクトを構築していくことを期待しています。


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