志情(しなさき)の海へ

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300年前の組踊初演の再現は本来の初演だっただろうか?疑問が残ったままである。

2019-10-19 19:34:30 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

舞台装置が当時の資料に照らしておかしい!三方から観客が舞台を見る空間だったはずだ。多良間や地方の舞台を見るとその原型が残っているようだがー。国立劇場はその原型を具現していない!時代考証はしっかりなされたはずだがー。

入子踊は初演の再現を国立劇場おきなわで拝見したせいか、退屈な群舞に見えた。これが面白うはずはなかったのではー、と、今回は思った。初演の時は新奇に見えたが、全く色艶が感じられないシンプルさが、淡く、それが、またしぬぐなど祭祀芸能を取り入れた洗練された形態だったのか、若衆芸の淡白さをあえて群舞で披露したのかもしれない。

以前日本演劇学会で発表した「劇場に見る組踊の系譜」のパワーポイントのスライド資料をここに紹介したい。これは科研研究報告書「組踊の系譜ー朝薫の五番から沖縄芝居、そして「人類館」へ」の中に収録したものである。尚、この報告書に収録された狩俣恵一氏の「竹富の民俗芸能など地域芸能に照らした組踊劇場への提言」は優れた論考だと一読をお勧めしたい。この報告書は県立図書館で読める。

以下8年前のデータである。今回の300年記念公演の疑問は、当時三間四方の舞台で三方から舞台が鑑賞できたのではないか、それがなぜできない仕組みで「国立劇場おきなわ」が建立され、四間四方で主に正面から見る舞台になっていることへの疑問から劇場について調べたものである。その後どう劇場について掘り下げられているのか、今回の再現舞台を見ると、違和感が起こったので、劇場の変遷についての飼料をここにUPしておきたい。(以下のパワーポイントに表示されたメルアドは不使用!)

 

以下の資料は新聞で紹介された再現舞台の写真である。野外劇場の雰囲気がよく撮られている。演出も出入りが一箇所だけの橋掛かりをお能の舞台を参照しながらうまく構成していた。橋掛かりの価値が浮上した再現に見えたが、「執心鐘入」など柱にもたれるような鬼女の姿は見所だった。うまく捉えている。「銘苅子」はすでにチケット完売でゲネを見るエネルギーもなかったので想像をうまく写真が実在の舞台を見せてくれているようだ。後ほど録画を見たいと思う。ただこの再現舞台は本来の「中山伝信録」のスケッチを正確に具現化した舞台ではないので、今回の舞台が初演再現とは言いがたい。以下新聞から縮小版の複写なので、写りは悪いがイメージはつかめるので備忘録としてUP。本来の写真は新聞10月9日号をぜひ直にみてほしい!

花火はこの規模で冊封使や王族を宮廷の庭で歓待したことは、なるほどと納得がいく。以下のタイムスの報告記事は「入子躍」と「執心鐘入」と同じように強調していますね。一つの出入り口の「橋掛かり」の位置づけが大きくなりますね。おそらく「入る子躍」は舞台ではなく、庭で演じられたのではないでしょうか?舞台でこれほど大勢(38人)の渦を巻くような群舞は不釣合いに見えるのですが、それが1836年の戌の御冠船ですから、1719年の時点でどうでしょう?1719年の舞台の再現には不釣合いですね。むしろ伝信録のスケッチに描かれた獅子の舞はなぜ実現しなかったのでしょか?疑問です。袖の長いフリルのついた衣装を着けた女装の男性を再現してほしかったですね。時代考証に当たった学識経験者の皆さんのさらなる原型への追及を期待したいところです。

 

 


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