(WSJ紙が紹介するテレビゲームと、英語、中国語、日本語、トルコ語の17と27の表記方法の違い)
国際教育到評価学会(IEA)が毎年行ている小中学生を対象とした国際数学・理科教育調査(TIMSS)では東アジアのシンガポール、韓国、香港、台湾、日本などが上位を独占していて、アメリカ、イギリスなど英語圏諸国よりも常に成績が上回ている。
2014年9月10日付けウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙『算数習得するのに最適な言語は何語か』によると、英語に比べて、数字に関する語彙がより少ない日本語や中国語は数学を学ぶのにより適しているという。
WSJ紙によると有名大学が結成した研究グループが長期間にわたり、数学の観点から中国語と英語の違いを研究したところ、中国語や日本語、韓国語、トルコ語などは数字について簡単な言葉を使うため、数学の概念表現がよりクリアで、低年齢の児童の数学学習により適しているという。
基本語彙が12進法的な英語では数字を表す言葉は24以上あるが、対して日本語中国語では10以内なので十進法の理解が容易なのです。
欧米の子供達の数学の落ちこぼれの発生ですが最初に十進法の位取りで躓くことが原因であり、12進法的なその言語構造にこそ問題点が潜んでいるとWSJ紙は指摘している。
『英語社会で、数学に落ちこぼれた悲劇』
アメリカの雇用市場では数学的技能が重視され、米求人情報サイトのキャリアキャスト・ドットコムが発表した2014年版「ベスト・ジョブ」ランキングでは、最も良い職業は数学者だった。逆にランキング最下位は木材伐採者、新聞記者、下士官兵、タクシー運転手。数学のスキルがあれば就職の機会は大きく広がるが、逆に計算できない従業員はいずれ「永久解雇通知」を手にするかもしれないという。
9月10日のWSJ紙の記事によると、英語圏の子供達は11をeleven(12はtwelve)と別々の名称で呼ぶが、日本語や中国語ではteenーone(teenーtwo)と表現するので、11の数が10プラス1であることが理解しやすい。
英語では11をeleven12をtwelveと呼ぶことで、子供対に余分な負担がかかっているのです。(日本語表記のように10プラス2であることが瞬間的に理解でき難い。)
また12以上の数字では、英語表現では日本語とは逆さまなので位取りが判り難い。
英語の17(seventeen)では、十の位が1であることを表すteenが一の位のsevenの先に来る。この為に多くの子供達がは位取りを間違い70(seventy)と混同する。(中国語や日本語表現で17はtenーsevenであり、位取りと言語とが一致している)
『原理的に数学で落ちこぼれる構造になている英語教育』
位取りと言語表現の不一致のために、英語圏の子供達は二桁の足し算引き算の場合に、二桁の数字が10の倍数と1の倍数とからなっていることが理解することに苦労する。
一番最初の小学校1年生の時に英語表現が原因して数学でつまずいてしまい、結果的に英語圏では大量の数学の落ちこぼれを生むので格差拡大の要因ともなっている。
『初等教育の数学では英語よりも日本語中国語の方が優れている』(英語では落ちこぼれが生まれる)との9月10日のWSJ紙の記事は韓国の朝鮮日報が12日に、中国の環球時報が14日に 関連(紹介)記事を書いている。
『何故か、朝鮮日報に感情的に噛み付いた大槻義彦名誉教授』
9月10日のWSJ紙の記事は米国の教育学者などの研究成果を記事にしたものだが、『日韓中の生徒が数学ができるのは言語のせい、か?』と題して、
『いつものことながら、韓国メディアの『我田引水』記事にはうんざりする。まずここでは『算数』と『数学』の混同が見られる。たとえば2次方程式を解く数学の能力に言語が関係していることなどあるはずがないではないか。
そんなに韓国など漢字圏の数学教育が成功しているならば何故ノーベル物理学賞の理論物理学の分野で韓国、中国に受賞者が出ないのだ?さらに超弦理論の国際学会の招待演者に韓国の物理学者がいないのだ?!
韓国、中国、日本の子供が『数学オリンピック』などで上位にあるのは単に受験競争で煽られているためだ。WSJ紙もバカ、CHOSUN ONLINEもバカ。算数の成績と言語の問題に悩むより、自分たち自身の合理的判断能力の欠如に悩め。』と、いつもながらのことですが、突然意味不明な感情的な罵倒を大槻義彦が行っている。
そもそもWSJの記事『算数習得するのに最適な言語は何語か』は高等数学を駆使する物理学の話では無くて、初等教育の数学での落ちこぼれの原因をアメリカの教育や心理学など各方面の研究者が科学的に指摘したものですよ。(頂点ではなく、底辺の話)
『悲惨な子供の貧困の現実論に、世界一の大金持ちビル・ゲイツを出す不見識』
少しでも冷静に考えれば、幼い子供達の数字の認識で、桁取りが逆に出来ている英語に大きな欠陥がある(勘違いを起こさせる)ことは明らかな客観的事実なのです。
(この場合には、『なにをして、唐突に大槻義彦は怒りの発作に襲われたのか!』と考察すると、実に面白い。超大国アメリカに対する敗戦国民の日本人が持つ歪んだ深層心理まで浮かび上がってくるから愉快である)
『大槻義彦が叫ぶ』の9月19日のお馬鹿記事以外にも、その後 9月24日にも、
『さきに本欄で韓国CHOSUN ONLINEの記事を引用して批判した。それは韓国などが数学オリンピックでいつもトップクラスになり、アメリカは30位以下なのは子供の数学能力が劣っているからで、これは使う言葉(英語)の数の数え方がおかしいからだ、というものだった。
今回のWSJ紙の上の記事でこの韓国の報道がお笑い草だったことが証明された。私の論評のとおりだったではないか。
そもそもその子供が使っている言語の種類で数学能力に差が出る、などとはまったくのお笑い草だ。それよりももっとも大事なことはこのような高い能力を早期に発掘してそれを思いっきり伸ばしてゆく体制が必要なのだ。
そのためには画一的な受験戦争は百害あって一利なしなのだ。韓国、日本、中国は数学オリンピックで上位に入ることを誇るな。
いやいや、そもそも数学オリンピックなどむしろ有害である。数学オリンピックで上位であることをはずかしいと思う感覚のほうがより健全である。』
と、駄目を押している。
その後も10月24日、10月39日と繰り返し英語の数字の表記が初等教育の弊害である事実を指摘した朝鮮日報を 攻撃しているのですが、その執拗さには呆れ返って言葉も無い。
『マリーアントワネット症候群?+敗戦国日本の奴隷的負け犬根性』
フランス革命のとき『パンを』と叫ぶ飢えたパリの群衆に向かって『お菓子を食べればよい』と言ったとの伝説が有るマリーアントワネットの勘違いのような、まったく筋違いの朝鮮日報に対する大槻義彦のお馬鹿すぎる罵倒を一つだけ擁護すると、『 さすが、日本のメディアでは、私の知る限り、このようなおかしな、非論理的な論評は見当たらない。』と、今回もっとも重要な、恐ろしい事実に気がついている。
我が日本国のマスメディアではアメリカのWSJ紙が書いている『英語には欠陥がある』事実を金輪際、誰一人報道し無いのですが、この事実に唯一大槻義彦だけが気がついているのである。
(天晴れ。さすが科学者で、見上げたものである。だから大槻義彦は見過ごしには出来ない)
アメリカでは公教育での数学の落ちこぼれの発生原因が、英語そのものの語彙に問題点が隠されていたとの、数十年にわたる各研究機関の発表をWSJ紙が報じていた同じ時期に、我が日本国では正反対の動きをしていた。
50年前の日本は1964年のオリンピックに備えて英語の必要性が叫ばれていたが、半世紀たって、またぞろ2020年のオリンピックを目指して同じ『念仏』が巷に流行りだしたのである。
少しも懲りずに半世紀前と同じ、英語教育の改善策について検討している文部科学省の有識者会議は9月26日、英語力育成を目指し、小学5年生から英語を正式な教科として教えるとする報告書をまとめる。日本の文科省はこの報告を受けて、下村文科相の諮問機関「中央教育審議会」(中教審)の次期学習指導要領の改定で、小学校英語の授業時間数など具体化を検討。2018年度からの実施を目指す。
また、現在教科外となっている小学5年の『外国語活動』(英語学習)を小学校3年から始めるように提言している。(いかにして子供達の負担を軽減するかとの視点はゼロで、その逆の方向に突っ走る日本)
『日本人の英語アレルギーは必要性の低さとモチベーションの無さが最大原因』
日本語教育とは無縁だった外国人力士が来日後ほんの数年で流暢な日本語会話が出来ることからも証明されているように、人間は誰でも必要性さえあれば幾らでも難しい外国語を学べるのである。
逆に必要性の無いものは、幾ら長い時間無理やり詰め込んでも身につかず役に立たない。
日本人は全員が義務教育で3年間も英語を学んでいるし、高校の3年間と大学の4年間を含めると10年間も英語を学んでいることになるが、多分世界で一番英語アレルギーの国民であろう。
大相撲の外国人力士の反対で必要性が無いので幾ら努力しても身につくことが無い。
日本人はマスコミ宣伝とか学校教育を通じて、『英語が世界言語であり、英語を使え無い日本人はグローバル社会で生残れない』とか、『英語は日本語など他の言語より優れている』との胡散臭い『神話』を何の疑問も無く、無邪気に信じている。
ところが今回WSJ紙『算数習得するのに最適な言語は何語か』が、英語の持つ重大な欠陥を指摘する。
このWSJ記事ですが、今までの『神話』に少しでも疑問を持つことは日本のマスメディアとか大槻義彦が気に食わない。
彼等は自分が信じている宗教が否定されたと感じたのでしょうが、日本人としては余りにも情けない態度である。
世界の国々では、自国語に対する誇りとか愛着(優越感情)こそが愛国心(郷土愛)の根幹なのである。
その唯一の例外が日本の政治家やマスコミや文部科学省の官僚たち。
『言語とはイデオロギーである』
『言語』とは、それぞれの国家やそれぞれの市民にとって『イデオロギー』そのものなのである。ところが日本人は主義主張や宗教を人前で主張するとの習慣が無い。(タブーの一種になっている)
世界における英語話者は20億人と言われているが第二言語としている人が10億人、外国語として使用している人は7億人で、母語としている人の数では3億人程度であり、13億人の母語人口の中国語には到底敵わない。
世界の7割の人々は英語とは無関係なのである。
しかも英語と無関係に生きていける度数では、我が日本国は世界で抜きん出ている存在なのです。日本国は英語でなく自国語で高等教育が受けれる世界で数少ない国の一つである。
日本では世界最先端の研究でもほとんどタイムラグ無しに日本語で情報が手に入る。他の国とは違い外国語放送とかインターネット情報も自国語のサービスが行われているのですから、『外国語(英語)を学ぶ』との絶対的な必要性が低い。
英語に限らず母語とまったく違う外国語の習得には重い動機付けと必要条件と長い習練の三つが必要なのですが、日本人には全てが希薄なのである。
『他のアジア諸国と日本との超えるに越えれない壁』
極右国粋主義者の石原慎太郎が東京都知事時代にフランス語では計算出来ないと主張して顰蹙をかっていたが、ヨーロッパの言語はラテン語起源なので似通っている。基本的に12進法的なのです。(フランス語では60以上の大きい数字は『60プラス○○』と表記する)
今でこそ欧州は世界の先進地域であるが、歴史的に見ればルネッサン期以前の欧州は中国とか中東に文化的に圧倒的に劣っていた。算数能力の低さも大きく影響していて、長らく文明とは縁遠い辺境の未開野蛮な後進地域だった。
逆転するのは2~3百年程度の極最近の話なのです。数学は全ての学問の基礎となっているので、言語的なハンディは大きい意味を持っていたのでしょう。
九九を12×12まで暗記するインド人の計算能力は高いが、インドと言えば、世界で一番国民の『金』の消費量が多い国なのです。インド人が『金』が大好きな理由ですが自国の通貨を信用していないだけでは無く、アメリカのドル札も信用していない。
(自国紙幣に十数の公用語が書かれている多言語国家であるインド人は『国家』や『紙幣』に対する信頼感が低く、物理的に決して変化しない『金』だけを信用しているのでしょう)
『一般市民の「国家」に対する信用度の大きな違い』
WSJ紙記事が指摘するように『英語』は幼児にとっては数学を学ぶようには出来ていないので、初等教育の段階で多くの落ちこぼれを生む。
逆に東アジアの日本語中国語はシンプルに出来ていて、数学で幼少期に落ちこぼれる人数が少ない利点がある。
ところが、同じ東アジアでも日本国と、その他の韓国や台湾、香港シンガポールでは、英語の語学力では大きな差が生まれているのですね。
圧倒的に日本がこれ等の東アジア地域から見て劣っている。
中国語は英語と文法的に似ているので比較的に有利であるが、韓国語は日本語と同じウラルアルタイ語族なのです。
ところが、やはり日本の方が英語の成績が劣っている。
言語条件が似ている日韓の『英語の成績の違い』ですが、英語教育の理由付け(動機)が根本的に違っているかららしいのです。
日本人では『将来、日本国が無くなるかもしれない』なんて心配している人の数はゼロに近い少数派。
ところが、日本以外の韓国を含む東アジア地域では国家が水の上に浮かぶ泡のようにはかない存在である事実を知っている。
彼等は将来自分たちの住んでいる国家が消滅するかも知れない、『もしもの時』を想定して必死になって外国語を学んでいるのです。ところが日本列島には大昔から現在まで『日本』しか存在しなかったことから、国家は永遠と信じている、暢気な日本人が逆立ちしても外国語教育で勝て無いのは当然だった。
モチベーションの差が大きすぎて最初から勝負にならないのです。(韓国、台湾、香港の裕福層では『もしもの時』の亡命を考えて、積極的に子弟を海外留学させたりアメリカなど外国との二重国籍を持っている場合が多い)
『文科省はこの報告を受けて、同相(下村)の諮問機関「中央教育審議会」(中教審)に近『される次期学習指導要領の改定論議の中で、小学校英語の授業時間数など化を検討。18年度か施を目指すこと科省はこの報告を受けて、同相(下村)諮問習指導要領の中で、小学校英検討01