志情(しなさき)の海へ

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母の日は「沖縄芝居」、「全琉闘牛大会」の日取りも母の日でした!父の日の催しは何だろう?

2013-05-13 00:25:41 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

                            (佐辺良和の朝敏と金城真次の小松小)

金城真次さんが出演する『御書院若衆』の小湾小松小を見たいと思った。また神谷武史さんの『闇路』の演技も見たいと思った。『御書院若衆』の秀逸な舞台はすでに国立劇場おきなわの大舞台でも見たので、特別な違いは舞台セットとやはり初めて真次さんが演じる女形の小松小である。平敷屋朝敏を演じる佐辺良和さん、若衆 思亀の嘉数道彦さん、若衆真三郎の大湾三瑠さん、あひー役の神谷武史さんは舞台の狭さやセットの貧困さにもかかわらず、とても見せたし、聞かせた。以前は小渡和道さんの平敷屋朝敏も見たが、小渡さんの美男子ぶりはまた格別だった。嘉数さんと大湾さんの滑稽な踊りは何とも言えない。この歌舞劇の中でのみ披露される舞踊のようだが、他でもそれがソロで踊られることがあるのだろうか?伊良波尹吉が即興的に創作した踊りだろうか?この朝敏の恋の手管の軽やかさと、いわゆる小湾小松小への恋慕(ナンパ)の競争、許嫁との仲違いを元のさやに収めるための女装など、かなり手の込んだ筋書きである。真次さんの小松小は似合っていたね。女の声音を出すことも徐々にキレがよくなっていくに違いない。一名「小湾小松小」のこの「御書院若衆」は時代背景としてはかなり自由恋愛の空気を伝えている。許嫁のいる小松小が平敷屋朝敏の歌・踊りに惹かれていく女心を描いている。許嫁の阿兄小もまた美女の手管(実は朝敏)にころりと騙されていく(心惹かれていく)自由闊達さがそこにある。のびやかな愛の賛歌でもあるのだろう。それはまた伊良波尹吉が創作した(大正6年)頃の空気だったのかもしれない。

    (笑の渦に包まれた踊りの場面)

面白いと思ったのは、出羽と入羽の台詞と、「うーじぬみー」である。朝敏(1700-1735)生存中にサトウキビ畑があったということになる。近代にできた作品なので18世紀に「うーじぬみー」がありえたのかと思って『沖縄大百科事典』をめくってみると、「1453年には沖縄で長嶺按司が砂糖を製造したという記録があり、ある程度サトウキビが栽培されていたことになる」とのことだ。舞台を見ながら時代考証的には問題があるのかと気になったが、ウージ畑は14世紀の福建省がサトウキビ栽培の盛んな所だったということも記述されていて、興味深い。沖縄芝居の他の演目でも「うーじぬみー」に手を取りあって入っていく恋人たちが登場する。うーじぬみーはとても重要な修辞になっている。面白い。女装の平敷屋朝敏の佐辺さんと阿兄役神谷さんの歌の掛け合いや踊りもよかったね。聞かせる歌唱力は歌劇の場合とても重要だ。聞かせるのびやかな歌唱を佐辺さんにいつも感じるのだが、神谷さんの声の色艶も以前より耳に心地よかった。個性的な声音がある。それは美そのものかもしれない。

『闇路』の主人公チラー小の小嶺和佳子さんは情感深く演じきっていた。そのアンマー役の冴子さんもまだまだ美声を聞かせてくれる。ロシア文学の「カチューシャ」を翻案した作品だと言われる。旅人を騙して盗みをするようになったチラー小の悪事の結末は自らを捨てた里之子との再会だった。親子の再会でもあった。不幸な運命の糸の絡まりが家族の再会と別れになる結末だが、見せ聞かせた舞台だった。間の者役の八重山の御方佐辺さんと金城さんの演技と那覇の御方の嘉数さんのやり取りがとても面白く、その場面は実は他の芝居の場面でも登場する。その辺はもっと作品の構成の特徴として論じてみたい。

(親子の別れ:筑佐事・天願雄一、チラー小・小嶺和佳子、カナシ・森山和人、神山里之子・神谷武史)

芝居が琉球諸語復興の流れにそってもっと盛況だといいね。今回は琉球舞踊、組踊、新作組踊でもキラ星のみなさんの出演で大勢の観客は拍手喝采だった。母の日、圧倒的に女性たち、年齢の高いみなさんが多い!振り子のようにウチナーグチへの関心が高まっているのかもしれない。琉球諸語(ウチナーグチ)の復活は芝居の復活と比例するようだ。

会場は観客が押し寄せ通路に坐する方々も!


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