志情(しなさき)の海へ

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DVとコミュニケーションの問題は人類の歴史を照らす?(暴力システム=社会体系)

2012-07-22 08:44:45 | ジェンダー&フェミニズム

      (彼女と会食したレストランカフェー、《くいものBar TANTO》のレザート、パスタはあまり好きではないが、パスタを注文してしまった!)

博論でDVのテーマに取り組むKさんとしばしお話した。女の表象として遊郭なり遊女(沖縄ではジュリと呼ばれた)のテーマを掘り下げたいので共通項があり、興味をもっている。国際結婚をする夫婦のDVと異文化コミュニケーションの問題は面白そうなテーマで、日本国内に位置する沖縄は最も離婚率が高く、かつDVの率も低いとは言えないだろう。つまり同じ地域内にあっても離婚が多く、DVも多いという推定をすると、ナショナリティーの違いがどうそこに作用するのだろうか?という点で国際結婚が多い沖縄であるゆえに、なおさら関心は惹く。身近にも米軍人と結婚した沖縄女性は数えることができる環境である。また韓国人、中国人、フィリピン人と結婚する沖縄人も増えているのかもしれない。

DVには言語、身体、心理的なものを含め多様な側面があり、主に男性による女性への暴力ということであるが、この社会制度そのものが父権制度の上にあり、男性有利の制度設定であり、言語やあらゆる慣習がそのような基軸の上になりったっている。信仰体系もその中心は男が主である。琉球王府時代の聞得王君体制もまた兄弟を信仰体系の中で補完する制度であり、そこでノロが尊ばれたのは制度の枠組で地領を与えられ王府の意思伝達を、間切に通達する命令系統の主軸にあったゆえに敬愛と畏怖の対象であったことは資料にも見ることだが、基本は久高島の祭祀にしても王府の体系を支えること、男を基軸とした国の体制の信仰による補完体制ということからすると、女性が平等な待遇を受けていた、とは必ずしも考えられない。信仰体系をになっていた女性たちが優遇されたのは事実かもしれない。しかし一般的に家族単位の夫婦関係、親子関係、においてジェンダー意識がどのような形態をもっていたのか、興味ふかい。男の子を産まない妻は簡単に離婚されたのであり、男が妾をもつこともOKな琉球社会だった。遊郭はお金にゆとりがあれば男たちは誰でも妻以外の女性たちとのセクシュアリティーを楽しむことができたのである。現在に至るまで、その介在する金の余裕があれば、性を歓楽のために得ることは可能な社会が人類社会でありつづける。

女性は男性の所有物であり、子孫を産み育てる対象であり、家を保管する存在で性愛の対象である。でもそれが変わってきた。女性たちが逃げ出したのだ。経済的自立を得て、婚姻の形態を抜けだし始めている。しかし国の保証システムはあくまで一夫一婦制度の元に体系化されており、それから外れる関係性は法的にも排外される。フランスのような緩やかな制度ではないゆえに、家父長制度が強固にあり続ける。男の存在が存在そのものが女を抑圧する存在としてそこにあり続けることになる。(スウェーデンのラディカル・フェミニズムは成人男性から税を徴収してそれを女性の権利拡張のために振り当てるという法律さえ作ろうとしている、とネットで読んだことがあったが、家父長制の遺恨がこのように表に出るのは興味ふかい。なるほどどんなに働いても女性の給料は男性の70%かな?無報酬の労働も多いので、男たちから税を徴収するという考えは面白い。)。『フェミニズム事典』(明石書店)では「家族は、家父長制と女性に対する抑圧を存続させる主要な制度である」との定義を採用している。

DVに戻ると妻、恋人、内縁の妻に暴力を振るう男たちはその社会的階層に関係ない。知的バックグランドも関係ない。身近な教授が妻の手をねじ曲げていたり、ネグレクトしたりして、離婚に至ったのだが、彼の暴力は尋常ではなかった。また妻をネグレクトし、言葉をかわすこともないインテリー層もいる。妻は子供を産んで家政婦としての役割を果たしてくれたらいいのである。そして家名に自らの業績に傷がつかなければいい。最も中にはそんな夫を無視し、若い男と駆け落ちする妻もいる。彼女はまたその夫の教授の元に舞い戻ったようだがー。

優秀な教員だが家庭内離婚のモデルで、ことばのアビューズが凄い男がいる。同じ教員の妻をバカ扱いの言動で心理的に追い詰めていくその姿を見ると妻の女性が痛ましい。男は離婚は社会的体裁が悪いのでしないとのこと。愛情ゆえの家族であり結婚ではない。ただ制度を維持し対面を保つための家であり続ける。

男女のことばは決して平等な言語運用がなされているわけではない。一旦結婚の形態の中に入ると、家父長制度が強行される傾向が多いのではなかろうか?夫に気を使っている女たちの多さがそれを物語っている。関係性の綾の中、多様に女性たちを家庭という制度的暴力装置の中で支配し、蹂躙する男性たちの姿がある。家庭は平安の場ではなく、夫‥男の慰安の場であり、その男たちの意向にそった家庭内の維持に翻弄される女たちの姿が多くみられる。子育てという大事な家庭の義務と愛に邁進しながら母として妻として生きる大勢の女性たちにとって母であることの責務の重さと愛の深さは喩えようのないものがそこにあると言えようが、その母として生きる女性ほどに男たちが父として親業に邁進しているかどうか、疑問もある。お父さんあなたはお父さんですか、の声が聞こえてくる。

はしおると、DV研究は人間関係性を追求しているのであり、極めて総(相)対的な研究対象ということになるのだろう。個人的にはやはり暴力装置としての社会単位の家族や神話体系も含めたジェンダーが気になっている。英雄たちの背後にある暴力肯定の神秘化された神話が横たわっていて、彼らの冒険の甘い蜜は女性のセクシュアリティーであり、ジェンダーがどう形を作っているのか、に関心がいく。

ことばがどう交わされているのか?ことばは暴力装置ではないのか?男女のことばは上から下に流れていないだろうか?男たちの思念の世界は妻や恋人たちの思念と平等に結べるのか?そこにセクシュアリティーがどうかかわっているのだろうか?身体と身体が関わるセクシュアリティーの場でDVはどう具現化するのか?妻が夫をセクシュアリティーにおいても訴えることが可能な時代である。(アメリカのことだったか?)つまり互いに求め合うセクシュアリティーでないかぎり、性=暴力でありえる。その最たるものがDVによる強要であり、それがRAPEということにも至るのだろう。金を媒介とするセクシュアリティーの場合、その行為の暴力性に関して管理という形態で介入する組織がある。危険から身を守るという名目で関わってくる。家庭内の場合弱い立場の女性はどう守れるのだろうか?警察が介入する時、すでに致死的状況ということが事件として報道されることがままある。

DVは夫婦間だけではなく親子間、子供間にもありえるのだろう。また親族縁者が関わるDVもありえるだろう。身体的なもの言葉をからむもの、経済的なもの、心理的なもの、様々に身近な者たちを蝕む暴力装置は張り巡らされている。そのよりよき方向性とは何だろう?既成の法的規範や習俗、あらゆるメディアの散乱、関係性の総体、歴史・文化の痕跡を引きずっている慣習へメスを入れる必要があるのだろうね。全く暴力から無縁な家族がありえるのだろうか?

 どうも存在基盤そのものが大きな暴力装置の上にありかつ個々の国や社会、地域、家族と平和に見える教育現場も含めて此世は《暴力》だらけの表象に見えてくる。暴力装置を柔軟に取り巻く祭祀や祈りがある。それすらも経済の収奪構造の中に置かれる。愛にあふれる人間社会、優しさにあふれる社会がすべて幻想ではないにしても熾烈なサバイバル競争の川の上をボートで漕いでいるのも事実だね。その規模が地球レベルに拡散してきた。そして元に戻るが国際結婚である。世界的な規模で、文化や人種や経済の相違がまたどのように関係性にまとわりつくのか?

膨大な言葉、観念、体系、表象があり、科学技術の深化・進化があり、国境を超えて人間が行き交う時代、ネット(ウェブ)はさらに地球を覆い尽くしている。かなたはこなたで、こなたはかなた、違いの受容・共感がどのようになされていくのか?排除ではない融和がどのように実現できるのか?しかし時代はまだ国民国家を超えられない。国連(世界連邦政府へ希望)への義務は弱い。人間の個々の義務は国家の体系の中にあり続ける。家族もDVも!

(富樫泰良君)

官邸前の毎週金曜日の抗議行動で15歳の少年が、バンクーバーに行った体験を語っていた。日本は笑われていますと、彼は言ったのである。そして原発に関しても多くのセミナーに参加して学び状況を変えるためのネットワークを築いている。頼もしいいね!日本《人》、アメリカの隷属から脱皮しなければですね。アメリカ研究は何をしているのかな?沖縄を包摂できないアメリカ文学なりアメリカ研究者のおそまつさもあるね。安保の上に成り立つ戦後日本の安寧があり、経済発展があった。アメリカ様が君臨していた戦後日本であって、それを見据えられない研究者の視野の狭さに驚く。例えば大江健三郎は『広島ノート』を書き『沖縄ノート』を書く。彼の良識に照らしてみて、両者は戦後日本に生きる上で、自らの知性・感性に正直に向きあう時、戦後の大きな布石であり、彼は広島や沖縄から逃げることができなかったからである。でも大学レベルの知識人は視野狭窄症に陥っているのだろうか?まだネットのこの15歳の少年との出逢いには希望がある。


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