身近な友人たちは身の丈で家族葬でもいいねと話す人が増えている昨今である。核家族化している。
父母の時代のように多くの人々が参列する告別式はまれになっているのだろうか。地域共同体のために頑張っていた二人の場合父は1300人以上、母は7,800人は参列していたと記憶している。実際に活動的に地域社会のために骨身を削って頑張っていた故だったのだろう。直接的な関わりの大きさだ。一方で沖縄の作家や詩人の場合どうなのだろう?
宮古島からきた女性は宮古島でも最近は家族葬が増えていると話していた。
葬儀は密葬の傾向に走っているのかもしれない。一般葬は一昨年お母様を失った友人によると、何百万レベルの費用だと聞いて驚いた。「生きている人のためにお金を使って、故人の願望にそう必要があるのだろうか」の問いもあった。
故人になった当人は寂しいと語った。たとえば東海岸の丘の上にある禅寺での新たな旅立ちを寂しいと語ったのだった。そうか、明るい場所にしてあげよう。旅立ちを詩を読んだことのある方々と共有しよう。しかしいったい詩集を手にする人々は多いのだろうか?実際は少ないに違いない。知人、友人、親戚縁者は年と共に少なくなっている。会社社長や医師会の医者などの告別の案内は大きい。現世の成功の色合いが告別式案内コーナーに如実に表れているようで、いつのまにか告別式の新聞ページを見なくなった。「日常の利害関係が表れているからね」と友人は話した。夫が社会的にステイタスがあるとその妻の告別式にも多く参列者がくるのよ、仕事上のつきあいとかがあるからね」とのことだった。
すると社会的活動現場〈職場など)から退職すると利害関係が希薄になり、最後の別れの時を共有することが希薄になっていくのだろうか。著名な方々でも直接的な関係でわき起こる何かがないと、逝去に哀悼の意を表したいと、告別式会場まで足を向けようという気にはならない。一方で読んだ論文に感銘を受けて直接お話をしたこともないのに葬儀に参列することもある。またその生き方への賛同からやはりなぜか惹きつけられるように足が向く場合もある。
何人の列席を予定していますか、と聞かれても分からないと答えざるをえない~。推測~。郷友会や同窓会に行くわけでもなかった。ひたすら6畳の部屋が世界の中心でそこで言葉を編んでいた。その言葉が商業ペースで売れる創作を生み出しているわけではなかった。しかしその言の葉の物語、詩編に感動を受けたのは事実である。
人を喚起させるものが言葉であり、物語であり詩編であり、映画やコミックや各種のスポーツだということも事実。
精神や身体を支えるものが何なのか、十人十色のこの世、ますます街にも村にも異変が起こっている。
沖縄の新聞の告別式欄、毎日そこから先に新聞を読む読者も意外と多いと聞いた~。知り合いや親戚の葬儀や告別式の告知があるのではないかと目を通すのである。家族模様がうかがえてとても興味深いと言う知人もいる。しかしあえて告知しない方々もいる。最近なのか、その欄に変化が起こっている。家族葬をしてから逝去を告知する欄が掲示されるようになっている。格差社会の現象がそこにも現れているのかもしれない。ますます社会の層があらわになっていて、死者を送る葬儀にも資本主義〈利潤追求)の色合いが深くなりかつ亀裂も走っているのだろうか。老年齢の方々の増加と共に葬儀社が増えている昨今なのかもしれない。少なくとも身近な者たちに囲まれて飛び立ちたい。
★ 一冊だけレア詩集になった『赤土の恋』の初版を見つけた。画家山城見信さんの装丁は帯を取ってみると衝撃が走った。
彼が前を通るとき、散文家は身を引いて道を開けねばならない。
詩人のことばに凝縮された力(魂のようなもの、鋭く過去から現在、そして未来を、永遠を見据えるまなざしのようなもの)が日常の俗な関係性の中で埋没もしていきます。俗の谷間で俗を凌駕し俗を見据え、遠くの近くの真を照らすことばの力はあなどれません。そう思います。しかし、表層をなぞる詩人も多いのかもしれません。詩人の言葉の力が真にことばの力、記憶、歴史を照らす灯火として是認されるには時が必要なのかもしれません。
小説家の大城立裕先生は詩人の死を悼むお葉書を下さいました。しかし小説家の方々の告別式への参列は玉木一兵さんだけだと記憶しています。ああ-、若いオーガニックゆうきさんはお父様、お母様とご一緒に参列していました。謝!詩人はご一緒に久高島詣でをした時の話を何度がしていました。
詩人に頼まれて『時空の中州で』をお送りした琉球詩壇でしたか、その若い選者の方は御礼の葉書一枚も送ってきませんでした。わたしは詩人の世界のことはよく知らないのですが、少なくとも時に献本のように送られてくる書籍の著者には何らかの返礼をしているものですから、驚いています。
詩人は十分歩けない状態の中で最後の詩集に向かっていました。頼まれて、できあがった詩集を何人かの詩人の皆様に送らせていただきました。急ピッチでできあがった詩集ゆえに当人の思う理想とは異なっている所もあったかと思います。
それでも詩集を出すことが生きる支えだったことはよく分かりました。
前詩集『ワイドー沖縄』のようなレイアウトではなかったのですが、本人は詩集の誕生に心を尽くしてくださったみなさまに感謝していました。
幸い第15回三好達治賞を受賞したことは、この間の癌闘病の果てに受賞を知らず永眠したとはいえ、詩人にとって大きな供養になったかと思います。深謝しております。