15世紀後半から16世紀にかけてたくさん発掘された青磁、渡地の島を形成する以前の海底からのもの。どこからかそこに廃棄された青磁がたくさん見つかった。碗が全体の79,2%、皿15,9%、盤4,6%、小碗0.4%。皿は稜花皿が多い。貿易によって琉球国にもたらされたもの。
凄いですね。渡地村跡から出ているのですが、別に遊郭とは関係なく王国時代の琉球の貿易の盛んな様が分かります。
沖縄の海外貿易は察度王43(1392)年頃36姓が久米村に居住するようになって盛んになっていった。那覇の港が貿易港としてにぎやかになるのが尚発巴志王代(1422ー39)頃といわれる。
尚真王の頃から尚清王の頃が全盛期:1400~1500年代。那覇の町は江南人(漢人)、南蛮人(ポルトガル人、スペイン人)、が来て往来絶えず、だったのですね。1609年以降は薩摩の収奪ですね。お仮屋の前の道は敷石されてきれかったとかー。
アメリカが空爆で破壊した文化遺産は多い!アメリカは破壊が明白なる運命なんですね!しかし沖縄の為政者の無知ゆえの破壊もありました。『渡地村』跡の報告書は琉球の歴史の痕跡を告げています。
那覇市の通堂町、小島、北は唐船小堀をはさんで東村、南、東、西は那覇港に面する。嶋の東端には硫黄城、中央に宮古蔵、西端に遊郭があった。思案橋は有名で歌に出てきますね。