(琉球新報 2014年2月26日)
新聞の報道をみて、つまり終わってしまってから知るということが意外と多い。一括交付金などで、今潤っている沖縄の芸能界である。かなり質のいい舞台も創造されているが、どうも伝統劇を演出手法での見せ方が先走っているようにも見える。オンケンセンのような演出家、鈴木忠志のような演出家はまだ出ていない。新作、創作組踊や芝居は、実は現代劇のようなセンスを持っている。その創作への期待は膨らむが、作家がいない。なぜ人類館を100回でもアビニョンで上演しないのか?伝統芸能がすべて盛り込まれることも可能な「人類館」である。でも海外に送らない。なぜ?琉球の歴史の軋轢や文化の軋みも含め亜熱帯のおおらかな芸能の可能性、スピーディーにエイサーや京太郎や、古典、雑踊りとなんでもありのチャンプルーのオンパレードの似たような舞台が続いている。そこにあるのは、伝統芸の脱構築のような演出(編集)だが、もっと骨太の面白い舞台が誕生してほしい。NON verbal藝術を目指しているようだが、音楽には歌詞がある。決してことばのないパフォーミングではありえない。ことばは身体表象の中にもことばの意味を埋め込んでいるね。身体が表出するもの、それはイメージであれ、意味性は払しょくできない。身体表現のイメージやメタファーもまた言語化されるのではないのだろうか?
各国の事例は興味深い。組踊が琉球舞踊が、世界の伝統芸やコンテンポラリーな演劇とコラボして世界に乗り出す作品=舞台が出てくる可能性を夢見ていたい。歌舞劇が中軸のアジアの芸能は、歌、舞、物語が引き付ける。西欧オペラとも似て異なるアジア性の枠に沖縄の伝統芸もスポット入ってしまうかどうかー?お能や歌舞伎、文楽の固有な美=普遍的美、の列に組踊もまた並ぶのだと言いたいが、伝統組踊と新作組踊のセット海外公演も面白いかもしれない。