地謡の仲村逸夫さん、いいですねやはり。新垣俊道、和田信一さんもですが、ソロの響きがんん良かった!余計な字幕が無いのが良かったね。唱えや歌唱に集中できた。国立劇場も過剰な字幕サービスを減らす方向性があっても良いね。
いわゆる組踊の系譜としてみても、琉球・沖縄芸能史の中でも注目される「護佐丸と阿麻和利の乱」を女性ならではの感性で描いた新作組踊ですね。尚泰王が戦略結婚として当時勢いのあった勝連の阿麻和利に娘を降嫁させるという伝説的な女性です。史実として記録された物語でも供としてつきそった鬼大城と恋仲であったとか、すでに沖縄芝居でもいろいろな筋立ての作品が登場しています。
主人公が超来真鶴姫ですから、彼女はずっと物語をリードしていきます。真鶴姫の誕生からその後の彼女の姫としての宿命の物語ですが、作者の喜屋武さんは冒頭で神の使いとしての白鳥を登場させます。護佐丸の娘である母親の腕に抱かれた赤子に天命のようなメッセージが届くのですね。白鳥は神の使いとしての伝承が生きています。
神からのお告げは「人々が穏やかで幸せな暮らしができる琉球。戦の世を終わらせゆがふの世へと導くように・・」
15歳まで成長した姫の恋い慕う男性は鬼大城、二人は心を寄せ合います。踊りで見せる愛の形、それをひそかに妬む虎松(金丸)
間の者の場面はコミカルで笑いを誘う。庶民の生活の哀感が籠めらた場面。
天下を狙う虎松の策謀が動き、真鶴姫は勝連へ。その前の母と娘の別れの場面が『ニ童敵討』の母と息子たちの別れの場面を彷彿させます。
勝連城の場面、虎松が尚泰王の意向として護佐丸を討てとの伝言を持ってくる。出陣を必死に止める真鶴姫!声音が会場に響き、息を飲む場面!いわばクライマックスだ!戦を辞めさせたい!いわば身内の戦いでもある。白鳥の約束が亀裂する。男達の野望が衝突する鳥羽口で阿麻和利は策略にのって中城城へ向かう。絶望したモモトフミアガリは、身を捨てようとするところ鬼大城に咎められ、その背中にのって中城へ向かった。
そこで目撃したのは、忠臣として尚王族に使えた護佐丸の割腹という最後の場面!そして護佐丸を討った阿麻和利が虎松(金丸)に成敗されるが、鬼大城もまた刃に倒れる。
そこへ白鳥が現れ、真鶴はたくされた神託を手渡す。冒頭の神からのメッセージを唱えて舞台は閉じられる。
虎松の策謀は成功し、護佐丸、阿麻和利、鬼大城は命を落とす。第二尚氏の誕生はたしかに戦世を終わらせるのである!
当初から虎松が真鶴姫の対極にあって政を前に推し進める役回りを演じる。その駒のように動くのが阿麻和利と鬼大城の設定だが、その間にあって琉球の世の安寧のために身を捧げる覚悟の真鶴姫の物語だ。男達の野望や欲の狭間にあって、その歴史の流れの中で自らの思いを発し、流れを変えようと闘う女性である。主体としてのアクションが貫かれている。策謀と潤滑油、水のように動く女性たちの立場が、彼女に象徴されている。
喜屋武さんの唱えや情感の高まり、踊りによる愛の表出など、また芝居のマルムン的だが登場する魚売りやマースー売やー、金細工など、庶民の姿を声を代表し、マルムンが息抜きになっているのは確かだった。
男たちの殺陣も見ごたえはあった。気になったのは、上手や下手の舞台への出入りであり、組踊の様式としての型である。女性が主人公ということで、すでに古典組踊を逸脱しているが、新作がこの間の芸能の融合なり止揚の形態としてみると、自在な動きは女性の水のような属性を感じさせた。「忠孝婦人」は乙樽が主人公だが三間四方で十二分に見せる聞かせる組踊だ。
地謡の別れの場面での述懐や子持ち節、按司手事に似たリズムなど聞かせどころがあった。
一方筋書きがサブカルチャー的な雰囲気も感じさせた。筋書が白黒を明瞭に出している故でもあろうか。
また一挙に歴史的な事実と確認された史実の推移を、円環構造で閉めた構図はそれで、すでに既知の事柄故違和感はなかった。
従来のモモトフミアガリ=犠牲者のイメージを払拭した新しい視点である。
続く