峠道は熊の棲家でもある。標識塔はほとんどが引っ掻かれており、爪跡には毛も。この標柱には「千」と「国」の間の傷に付いている熊の毛が分かるだろうか。
私達は26人のグループでにぎやかに歩いているので怖くないのですが、一人で山菜取りに入っている女性?(ほおっかぶりのばあちゃん)もいましたよ。
私達は26人のグループでにぎやかに歩いているので怖くないのですが、一人で山菜取りに入っている女性?(ほおっかぶりのばあちゃん)もいましたよ。
今回の塩の道歩きは北小谷の道の駅から糸魚川の日本海まで6月7日~9日まで二泊3日かけて33Kmを歩きました。毎日お天気が良くて快適な古道歩きでした。
この写真はいま地蔵峠の登って来た道を振り返ってみている。ここ「地団駄」という地点から平倉城址や北小谷を見下ろしている。民家は数える程度で山また山。
この「地団駄」という地名についてガイドブックから転記する。
“武田軍の平倉城攻めの急報を受けて上杉が援軍を派遣したが、平倉城の目前で落城したことを知り、ジタンダを踏んで悔しがったという。このことで上杉軍の勢力圏は(これからわれわれが歩いていく)根知谷まで後退することになった”
現在放映中のNHKの「上杉謙信」を見ている人には興味のある話らしい。実は私は歴史は疎いので、そんなこともあったのですねえという程度のはなしです。
この写真はいま地蔵峠の登って来た道を振り返ってみている。ここ「地団駄」という地点から平倉城址や北小谷を見下ろしている。民家は数える程度で山また山。
この「地団駄」という地名についてガイドブックから転記する。
“武田軍の平倉城攻めの急報を受けて上杉が援軍を派遣したが、平倉城の目前で落城したことを知り、ジタンダを踏んで悔しがったという。このことで上杉軍の勢力圏は(これからわれわれが歩いていく)根知谷まで後退することになった”
現在放映中のNHKの「上杉謙信」を見ている人には興味のある話らしい。実は私は歴史は疎いので、そんなこともあったのですねえという程度のはなしです。