ヘルメットと防弾チョッキを満載した自衛隊機がポーランドに到着した、ここから、隣国のウクライナに移送するのだろう,我がことのように心配しているポランドの人々にとって、これほどうれしいことはない、
「さすが ニッポン」
「さすが エンペラーの国だ」
数年前、高齢のポータンド婦人が亡くなったのだが、その遺品の中に、
「日本人形」
ずーっと一緒だった、
「ああ なんということか」
第一次大戦の際、両親を殺害されたポーランドの子供たちが、日本海を渡って日本にやってきた、当時の日本人は親切だった、お風呂に入れ、みんなで夕食、
「これ なあに」
「ナットー」
「このスッパイのは」
「ウメボシ」
小さな子供が、
「ママー ママー」
「はい はい」
広間で、みんな一緒に寝る、その時の写真が残っている。
そして、たくさんのおみやげを持って、アメリカ経由で帰っていった、それから数十年、
「赤い日の丸は どのように映っただろう」