かつての中国では、政治犯の家系には凄惨な処罰が待っていた、それは、当人だけでなく、
「罪は九族に及ぶ」
これこそが、あの民族の本質をよくあらわしている、一族単位なのだ。
さすがに、この国では、そういうことはなかった、それは社会の基盤が稲作農耕の集団社会であったからだろう、これは、悪く言えば「いじめ社会」、ちいさなコトであれこれ、それは、そういうコトで集団の序列を確認させていたのだろう、今でも、
「葬式や結婚式が それ」
政争は、どちらがいい・わるいというのは難しい、ささいな違いが多い、だから、そんなことで処刑されるぐらいなら、
「東海の島国に 渡ろうか」
一族を挙げて、この列島に来た人々も多かったのではあるまいか。
だから、そして、千数百年の雌伏を経て作ったものこそが、
「あの 東大法学部ではあるまいか」