静御前は shaman、だから、一世一代のパフォーマンスは一挙に事態を引っくり返す恐れがあった、しかし、その静に舞台を提供したカマクラは、さすがに、すばらしい。
Shaman は、ヒトのこころを何百年前・何千キロ彼方に飛ばすことができる、これは、量子力学的には、どう解釈するのか。
そこでは、一個の実存は、今・生きているよりも「生きてある」ことを実感する、
犬君(いぬき)が にがしつる
ふせごの中に こめたりつるを
ねびゆかんさま いと ゆかしきひとなり
もえいずるもかれぬも おなじ野辺の草
いずれはあきに あはではつべき
山空にして 松子 落つ
この時 声なきは 声あるに勝(まさ)る
そして、この日、カマクラでは、
しずやしす しずのおだまき くりかえし・・・
静御前のいのちの舞、だが、カマクラに弓引くヨシツネを許すことはできない、怒り心頭のヨリトモ、
「おのれ静
ぬけぬけと
どうして どうして くれようか」
その時、政子が、
「歌わせてください
舞わせてください」
「・・・」
「静は 静は いのちをかけているのです いのちをかけているのです」
ここにカマクラの真実が花開く、花開いたのだのだ。