The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

ミデアンの荒野から 4

2013-01-06 07:01:37 | Weblog

 ある吹雪の日に、バチュラーが平取に行くと、キミコの容態が悪い、いよいよ死期が近いかと祈ってやると、静かに眠った、そこで、次の村の伝道に出発した。

 次の村の部屋で休んでいると、なんだか身体がぐったりとして死んだようになる、すると、そこへキミコがひどい顔をしてやってきたではないか。バチュラーは、
 「大丈夫、あなたは死んだりしない、安心してお帰り」

 異国の宣教師が、そう言うとアイヌの娘の姿が消えた。

 数日して、平取村に行くと、彼女は元気になっており、
 「あの吹雪の夜、本当に苦しくてたまらなかった、『ああ、自分はいよいよ死ぬのだなあ』と思うと、一目、先生に会ってから死にたい、と思った」

 そして、その後に、起こった意外な出来事を語り始めた。

ミデアンの荒野から 3

2013-01-04 08:59:07 | Weblog
 
 これまで数多くの宗教体験が報告されているが、その中には、単なる心理現象では説明できないものがあるかもしれない、手島郁郎には、いくつもの神秘体験があるのだが、手島自身は、明治時代にアイヌ人に伝道したジョン・バチュラーに注目している。

 バチュラーは、明治30年代、日高地方の平取(ピラトリ)という村に伝道に行く、そこに、キミコというアイヌの娘がいた、彼女は目がよく見えず、身体の痛みもひどかったが、バチュラーが伝道に行くと、
 「ああ、先生が来られた、どうか、私に按手して祈ってください」

 バチュラーが按手して祈ると、不思議に痛みが消えた、という。