こだわり米専門店スズノブ 西島 豊造(五ツ星お米マイスター)の豊かに造ろう

様々な現実を見つめらがらも、日々を前向きに考えて進んでゆくためのブログです

思い出の新幹線が発売されるんだって

2012年06月14日 22時06分22秒 | Weblog
NゲージのメーカーKATOから、今年の9月以降に、200系東北・上越新幹線が発売されるらしい。

200系東北新幹線は、昭和57年の東北・上越新幹線開業時に登場。
東海道新幹線の0系がベースとなっていて、環境の違いから、0系よりも長くなったロングノーズの先頭車に変わり、スカートと一体となったスノープロウなど、耐寒耐雪構造となったボディーマウント車体で、雪に強い新幹線として誕生した新幹線。

つまり、自分が青森県十和田市の大学に行っていた時、使用していた新幹線だということ。
だから、当時はまだ重厚感があったスタイルと、グリーンのカラーリングは、いまでも自分の記憶に焼き付いている。

説明によると、登場からすでに30年を経て、引退の時期が近付いているとのこと。
そうだよな、今見たら、さすがに古さは隠せないものな。

古くなったものは、新しいものに、取って代わっていくのは仕方がないこと。
でも、それでも残しておきたい物もある。

だから自分は、Nゲージであるが残そうと思う。
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これも見に行こう

2012年06月14日 20時53分17秒 | Weblog
今回の高知県本山町からのメールには

「さて、来週に島根に行くとブログを見ました。
実は、出雲大社と本山町は、下記のとおり古いつながりがあり、立派な刀などと一緒に江戸時代に本山町から流した願開船が宝物殿に飾られています。出雲大社宝物殿に行かれる際は、寄ってみてください」

という、メッセージもあった。

そうだな、せっかく出雲大社に行こうと考えているのだから、これは見ておこうと思う。
本山町に行くたびに話を聞いていたのだが、いつも忘れてしまっていたのだった。

良い情報をありがとう。

願開舟(がんびらきぶね)とは
 江戸時代の中頃のことです。土佐国本山村(高知県長岡郡本山町)に住む志和九郎左衛門(しわくろうざえもん)という人が、病気平癒(びょうきへいゆ)を出雲大社に祈願しました。
その効あって病は平癒したましたが、その感謝のための出雲大社への参拝がかなわず、彼は小さな木舟をつくり、その中に当時のお金の寛永通宝十五枚をお初穂として入れ、その木舟の表に「出雲大社様、土佐本山村助藤寅年男」と刻んで、天明元(1781)年十月十七日、自宅の前の小川(吉野川上流)に流しました。
果たして十八カ月後、この舟は出雲大社のある大社町稲佐の浜に漂着し、大社神前に供えられ、当時の第七十六代國造千家俊秀自ら舟主の篤き心をめでられ、その由を大神に報告されました。
その後、直ちに社人を現地に派遣しての事情調査が行なわれ、前記の舟主の名前等が判明しました。
今日、この舟を「願開舟」と呼んでいますが、四国の吉野川上流から、日本海に面する大社町稲佐の浜まで舟が漂着する間には、幾人もの善意のリレ-があったのでしょう。

こちらのホームページをご覧下さい。http://www.izumooyashiro.or.jp/keidai/homotsu/index.html
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天空の郷より現況報告

2012年06月14日 20時47分06秒 | Weblog
高知県の本山町より、現況についてのメールが届いた。

「先日、梅雨入りした高知県。
本山町では、やっと水田を潤す雨が降り田植え最終段階となっています」

とのこと。
まずは、農作業の第一弾が終わったというところだな。

高知県から生まれた、四国を代表するブランド米「土佐天空の郷」も、今年が正念場となる。
地域から新しいブランド米も誕生したりしているので、その上にいくのか、その下になってしまうのかも、シッカリと調べなければならない。
他のプランドよりも、上であったとしても、なんかの拍子で失敗してしまうこともある。
ブランド米になる途中というのは、1つの失敗で、今までの時間が、すべて無駄になってしまうということも、まだまだあるのだから・・・。

とはいっても、失敗を気にしていては、全く先には進めなくなくってしまう。
だから、どのレベルの失敗なら、どの程度のダメージとなるのか。
ダメージを受けた時に、どういう対策をしていくのかを、考えておいたほうが良いであろう。

そして、成功した場合は、次のステップに進まなければならないので、進む計画も立てておかなければならない。
常に進み続けるのが、天空の郷ブランドのの宿命なのだから。
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出版社からの相談を受ける

2012年06月14日 17時59分44秒 | Weblog
某出版社で、秋からお米の販売をしたみたいという相談があった。
それも、前もっての話などは一切なく、飛び込み相談であったのでビックリ。

自分としては、産地の様々なストーリをシッカリと伝えられて、そのストーリを判ってくれる人たちが、喜んで買ってくれることを期待している。
さらに、産地の復活や復興、活性化までを考えていくと、どうしても紙面だと限界があって、全てを伝えることは不可能となってしまっていた。

だからこそ、HP・WEBという考え方になっていってしまうのだが、この世界は既に激戦区となっていて、ただ「お米を販売する」という考え方では、「安いを売りにしなければ」まず無理であろう。
しかし、どうしても、その世界に打って出て行くしかないのが現実でもある。

今回、運よく、その思いが実現できそうなWEBとも、1つ繋がることができたのだが、もっとないだろうかと思っていたときに、今日の話が飛び込んできた。

秋ということなので、時間は無いし、自分の思いが、すべて受け入れられるわけでもない。
だが、新しく販売するということであれば、とりあえず思いは伝えて、検討してもらうことはできると思う。

やってみたいな。
優れたブランド米だけが並んでいる、そのWEBだけでしか販売されていないブランド米が、ずらりと並んでいるショップというものを・・・
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もうひとつの問屋と、数量確認をした

2012年06月14日 10時12分38秒 | Weblog
少し前に1つの米卸とは、23年産米の必要数量と放出数量の最終確認をしたのだが、昨日の夕方、もう1つの米卸とも、23年産米の必要数量と放出数量の最終確認をし、これによって、自分が取り扱っている、すべての産地の銘柄米の数字が確定した。

結果として、今回の数量の見直しによる放出数量は、スズノブとして前例がない3ケタにまでなってしまった。

一番ダメージを受けてしまったのが、やはり東北・関東、続いて新潟、甲信越。
最悪となってしまった産地の引き取り数量は、わずか10俵程度というのもあった。

判ってはいたことなのだが、紙の上に数字を載せていくと、改めて東北が受けた被害の大きさが見えてくる。

もう2カ月もすれば、新米の第一便が届いて販売が始まる。
産地を復活させるには、やはり新米で計画したほうが良いのは当然。

しかし、まだ産地の現状が見えないし、産地からの情報も来ない。
今のままでは、産地を復活させるための計画すら立てられない。

産地よ、はやく情報を提供してくれ!

今年の新米で、100%ではなく、ある程度だったとしても、復活の方向に進んでいないと、完全に取り残されてしまうぞ。
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今日からスタッフが増えた

2012年06月14日 09時47分22秒 | Weblog
今日から、スタッフが一人増えた。

出身は福島県南相馬市。
だからということで採用したわけではなく、基本的なお米に対する考え方が気に入ったからの採用である。

全くお米のことを知らないので、時間はかかってしまうかもしれないが、生真面目なお米屋さんに育つような気はしている。

しかし、面接の中で言っていた、「いつか、さらに美味しく復活したコシヒカリを自分の手で流通させたい」という言葉は、心にズシンと響いた。
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