コメ展の打ち上げが大手町であり、先ほどお開きとなった。
自分はただの米屋だから、まず当たり前の事として、今回のコメ展に関わった日本を代表するデザイナー、最前線のスペシャリストと関わる環境はないはずであった。
それが縁あって、自分も参加出来る事になったのだ。
残念ながら、その中で、自分が協力出来る事は、極僅かしかなかったが。
それでも、こんなに嬉しい現実はない。
1つ1つのデザインへのこだわりと思い。
そして挑戦からなる、息吹く作品。
色々な人達から、その言霊を聞く度に。
30年、嫌われながらも、突っ張って。
自分の人生を潰してまで。
ただひたすら、お米だけの為に歩んできた生きざまが。
一気に報われた思いであった。
閉会の挨拶の中で、今回「コメ展」は、一度幕を下ろしますが、いつか、形は変わるかもしれないけど、再び、コメ展を開催したいと言ってくれた。
自分はその時、再び、この人達に会って、一緒にやりたいと思っている。
自分はただの米屋だから、まず当たり前の事として、今回のコメ展に関わった日本を代表するデザイナー、最前線のスペシャリストと関わる環境はないはずであった。
それが縁あって、自分も参加出来る事になったのだ。
残念ながら、その中で、自分が協力出来る事は、極僅かしかなかったが。
それでも、こんなに嬉しい現実はない。
1つ1つのデザインへのこだわりと思い。
そして挑戦からなる、息吹く作品。
色々な人達から、その言霊を聞く度に。
30年、嫌われながらも、突っ張って。
自分の人生を潰してまで。
ただひたすら、お米だけの為に歩んできた生きざまが。
一気に報われた思いであった。
閉会の挨拶の中で、今回「コメ展」は、一度幕を下ろしますが、いつか、形は変わるかもしれないけど、再び、コメ展を開催したいと言ってくれた。
自分はその時、再び、この人達に会って、一緒にやりたいと思っている。