最近2つのテレビ番組で、前後して、美しい棚田の風景を見る機会を得ました。
一つは、「世界一番紀行」というシリーズの中の≪世界で一番大きな棚田‥中国雲南≫という番組です。
「世界一番紀行」は、“世界で一番~~”の場所を、俳優やタレントが訪ねて、そこで暮らす人たちと1週間くらい生活を共にし、そこで生きていく“大
変さや喜び”などを、身をもって体験し伝える番組です。
今回の訪問者は、俳優の大高洋夫(おおたか・ひろお)さんでした。
(彼は、今まで何回かこのシリーズに登場されていて、その素朴で人間味あふれる人柄に、私は好感をもっています。)
中国・雲南省の棚田は、ハニ族という少数民族によって、1300年にわたって耕され維持されてきたものだそうです。
その広さは、なんと、東京ドームの1万倍!
一番下と一番上の棚田との高低差は、500メートルあり、一番上の棚田は、1800メートルの高さに達するという!
カメラでも、その全体像がとらえることができないくらい、大規模なのです。
したがって、上の写真も、雲南の棚田の、ホンの一部にすぎません。
棚田の美しさもさることながら、私がこの番組を見て心を動かされた(ブログを書こうとまで思った)のは、棚田を耕すハニ族の人たちの、棚田に対す
る熱い思いでした。
そして、その思いは、あとで触れる、奥能登の人たちにも、全く共通するものでした!
大高さんが雲南の棚田を訪れたのは、稲の刈り取りの時期。
彼は、呂さんという、親子2世代で棚田を耕す家族の家に身を寄せて、お米の収穫からその後の棚田の修復の作業を手伝います。
狭い棚田のこと‥稲の刈り取りは、もちろん鎌一つでするのですから、大変な作業です。
でも、それにも増して大変なのは、翌年に備えての、棚田の修復作業です。
まず呂さん父子は、あぜの側面を鍬で削り、側面に生えた雑草を全て削りとります。
そうしなければ、草の根がはびこって、あぜを崩してしまうんだそうです。
呂さんの家族が持っている棚田のあぜの長さは、全部で1km、二人掛かりで1日中やっても、1週間かかるとのこと。
そして次は、削ったあぜに田んぼの泥を厚く塗り、それを上からシッカリたたいて、あぜを頑丈なものに仕上げます。
これも又、尋常ではない労力を要する仕事です。
そしてその後が、田んぼの代掻き。もちろんこれも、鍬1丁で。
それが全て終わると、雲南では、田んぼに水を引いて、来年の田植えの時期を待つのです。
その間、呂さん父子は、出稼ぎに行かれるとのことでした。
修復作業が終わった田んぼで、大高さんが呂さんに尋ねます。
「毎年毎年、こんなにキツイ作業を同じように繰り返して、嫌になったりしないのですか?」と。
すると、呂さんのお父さんは、胸を張って答えられました。
「毎年毎年、同じ事を繰り返すことこそが大事なのです!そうすることで、祖先から受け継いだ棚田と生活を守ることができるのですから」と。
また、大高さんの、「この美しい棚田の風景が、呂さんの目にはどんなふうに映るのですか?」という質問に対しては、呂さんの息子さんが、「僕にとっ
て棚田の風景は、美しいというより、愛おしいものとして映ります!」と、これまた、誇り高く答えられました。
呂さん父子の、すがすがしい笑顔と瞳は、私には、とってもまぶしく感じられました。
さて次は、「新日本風土記」の≪奥能登≫から。
奥能登(輪島市・白米=しろよね)にも、“千枚田”と呼ばれる、美しい棚田の風景があります。
平地のないこの地に、棚田がつくり始められたのは、江戸時代の初めとか。
苦労に苦労を重ねて田んぼを拓き、明治の中頃には、8000枚の田んぼができたそうですが、今はそのうちの、1004枚が残っています。
棚田だけの専業農家は、今では3人だけになってしまったため、ここでは、1口2万円でオーナーを募り、棚田の維持に当てているのだそうです。
番組では、専業農家の一人、鵜嶋智さんが、春になって田植えの準備作業をされている様子を追っていました。
鍬1丁で、あぜを修復し、田んぼを耕される姿は、時期こそ違うけれど、雲南の呂さん父子の姿と、ピッタリ重なります。
棚田に対する愛情も誇りも、呂さん父子と全く同じでした!
田植えの季節。
千枚田には、オーナーとなった人たちが家族連れでやって来て、慣れない田植えの作業を、農家の人と一緒に、楽しみながらやっておられました。
そして、秋になって稲の収穫が終わった田んぼには、大勢のボランティアの人たちによって蝋燭が灯され、千枚田は一夜ながら、光に満たされる
のだそうです。
≪雲南の、世界で一番大きい棚田≫と、≪奥能登の千枚田≫。
そのどちらも、
恵まれない条件のもとで、
遠い昔から、血のにじむような努力を重ねて、
切り拓かれ、受け継がれてきたのだ!
まさに、働く人間が築き上げた、大切な財産なのだと、強く思いました。