のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

8月7日の、『幸せ~♪』 と 『ガッカリ!』

2015-08-10 19:26:15 | 日記

 7日の朝、待ちに待った、ふるさと・高津川の『鮎』が、Y姉から送られてきた!

 高津川は、日本一の清流にも何度か認定されたことのある、我が故郷自慢の川だ。

 

 その高津川には、夏の初めともなると、清流の女王・鮎が、群れを成して上ってくる。

 しかし天候不順のせいか、今年、鮎の季節はずい分遅れた。

 8月になって漸く鮎が大量に獲れ始め、私のところにも、7日になってやっと送られて来たのだ

 私は喜び勇んで、発泡スチロールの箱を開けた。 

                       

 

 

 氷詰めにされた、合わせて15匹の鮎(大き目のものが多かった)が、姿を現した。

 私は早速お昼に、2匹を塩焼きにして食べた。 (あとは2匹ずつに分けて冷凍した。)

 毎年のことながら、獲れたての天然アユの美味しさと言ったら!

 というわけで、今年も私は、鮎を食することのできる「幸せ(口福)」をしみじみ感じ、姉への感謝の思いを深くしたのでありました。

 

 

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 7日は、夕方から友人2人(YさんとOさん)と一緒に、奈良に行くことになっていた。

 この日、奈良に行く目的は、2つ。

 一つは、平城旧跡の中の広大な葦の繁みをねぐらにしているツバメの大群が、日暮れ時に一斉にねぐら目指して舞い降りるのだそ

うだがその珍しく壮大な風景を見ること。

 もう一つは、奈良の≪燈花会≫を見ること、だった。

 先に、ツバメの大集団が舞い降りるさまを見て、その後、燈花会に行こうという予定だった。

 

 そこで私たちは、平城旧跡の最寄り駅の近鉄・西大寺駅に、5時半に集合した。

 ところが、いざ平城旧跡に向かって歩き始めようとしたとき、どうも空模様が怪しくなってきた。

 遠くで雷が鳴り始め、雨がポツポツ落ちてきたのだ。

 そこで私たちは、食事をしながら雨をやり過ごすことにして、近鉄百貨店6階のお店に入った。

 お店で食事をしている間に、大粒の雨が降り、お店の窓からそれまで見えていた平城旧跡辺りの風景は、姿をすっかり隠してしまっ

た。

 稲妻だけが煙った風景をつんざいて、何度も何度も地上に光を突き刺していた。

 

 それでも食事が終わるころになると、次第に雨は止み、窓からは、外の風景が再び姿を現し始めた。

 そこでお店を出る前に、平城旧跡辺りの景色を、カメラに収めた。

                   

 

 

 

 その後、私たちは百貨店を出て、平城旧跡の中にあるという、ツバメのねぐら目指して歩いて行った。

 私は、周りの山や空などを撮りながら、歩いた。

                    

                     

 

 

 ところが!

 ツバメのねぐらがもうすぐという時になって、私のカメラが突然動かなくなった。

 レンズの開閉ができなくなってしまったのだ。

 まあ、このカメラ、今までずいぶん酷使してきたんだから、そろそろ故障しても仕方がない。

 私は、ツバメの大群がねぐらに下りるダイナミックな光景は、眼にしっかり焼き付けることにして、カメラ撮影を諦めた。

 

 カメラ撮影ができなくなってしまっては、燈花会に行く意味もなくなった。

 そこでお二人の同意をもらって、その日の燈花会行きは、取り止めてもらうことにした。

 その代わりに私たちは喫茶店に入り、しばらくお喋りしてから帰ることにした。

 しかし、「しばらく」が「しばらく」で終わらなかったのは、言うまでもない。

 結局、燈花会に行ったのと変わらないくらい(いや、それ以上!?)の時間まで喋ってしまった。

 帰宅も、久しぶりに11時前という遅い時間だった。

 

 カメラの故障は何とも「ガッカリ!」ではあったが、ツバメの大群のねぐら入りは壮観だったし、お喋りはやっぱり楽しかった。

 

 

 

 

                  

 


8月6日、≪関西平和美術展≫へ。

2015-08-10 16:41:18 | 日記

 8月6日は言うまでもなく、≪ヒロシマへの原爆投下≫から70年という節目の日だ。

 私は今年も朝8時15分の原爆投下時に、せめてもの気持ちを込めて、テレビの前で黙祷した。

 

 8月6日は又、100年前に始まった≪全国高校野球大会≫の開会式の日でもあった。

 テレビは、“広島平和祈念式典”に続いて、高校野球の開会式の中継に移った。

 この開会式では、主催者である朝日新聞社長がその挨拶の中で、「高校野球100年の歴史の中で、戦争による3年間の空白が

あった」ことに言及され、再びこのような不幸な事態が発生しないよう、平和の尊さを訴えられた。

 私は朝日新聞社長の穏やかな物言いの中に、平和を求める毅然とした姿勢を感じて、とても嬉しくまた頼もしく感じた。

 そして更に嬉しかったのは、鳥羽高校主将によって行われた≪選手宣誓≫の清々しさだった。

 そしてそれは単に清々しいというだけにとどまらず、歴史の中で今回の大会の意義をきちんとふまえた、素晴らしい内容のものだっ

た。

                    

 

                          

 

 私は、高校生の初々しさと、物事を見る目の確かさに、強く心を動かされた。

 

 

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 8月6日は、個人的には、3ヶ月に一度の歯医者さんの定期健診の日だった。

 私は予約の時間に合わせて検診に行った後、その足で、友だちのOさんも出展されている≪関西平和美術展≫(天王寺美術館)に

行った。

                                

 

 

 6日もずいぶん暑い日だったが、天王寺美術館前の大きな夾竹桃が、ピンクの花を夏空の下でたくましく開いていた。

                      

 

 

 

 

 私は、美術館に入ると、入り口に近い所から順番に、皆さんの力作を観せていただいた。

 そして、いろんな意味で興味を引かれた作品を、写真に撮っていった。

 次に、その写真を、題名と共に、順不同で載させていただきます。

                

                 「夜更け」                              「坐る女」

        

 

 

 

                 

                   「大空へ」                        「嘆きの壁・2015」                         

 

 

 

                      

                                     「アマルフィー」

 

 

 

               

                         「つながるいのち」                        「四季のにおい」

 

 

 

          

                  「なかま」                               「白バラの相談」

 

 

 

                

           (上)「秋の野」・(下)「春の野」                      (書2点) 

 

 

 

                      

                                 「輪廻転生」

 

 

 

                 

           「戦争はやめよ」(絵てがみ)                   「輝け 9!!」 (デザイン)

 

 

 

           

               「Workar 15」                   下から‥「投下前」「投下後」「投下後70年」

 

 

 

        

              「私はたたかう」(写真)                 「届け平和の音~白杖を持つ手にオカリナを」(写真)

 

 

 

         

                               「祈り」と「鎮魂」(写真)

 

 

 

                   

                           「女性運動の人(市川房枝)」

                        

 

 

            

                     「哭」                            「竹を編む」(切り絵)

 

 

 

                   

          「壊したいの?9を…」(デザイン・漫画)               「私は有名人」(漫画)

 

 

 「平和」を強く願いながら制作を続けられる皆さんのご努力に、心からの敬意を感じながら、私は美術館を後にした。