先日、かつて仕事場が一緒だったSさんから、一緒に食事したいという電話があった。
Sさんは、私より15歳以上年下で、歳だけで言うと、私が大先輩ということになる。
でも、私にはそんな感覚はなく、ましてや、彼女のお世話をした覚えは毛頭ない。
むしろ、私の方が迷惑を掛けたのでは、と心配しているくらいだ。
仕事場が変わってからは彼女と会うこともなく、つながりと言えば、年賀状のやり取りくらいだ。
それなのに、ぜひ一緒に食事したいという、丁寧なお誘いだった。
食事の場所も、私のところから近い場所に予約するから、とのこと。
歳が違うせいもあってずっと会ってはいなかったけれど、当時の彼女の誠実な仕事ぶりは、今でも私の心に強く残っている。
なので、会ってお喋りをしたいという気持ちは強かったけれど、そのお誘いぶりから、もしかして私の食事代も払われるつもりな
のでは?という懸念があった。
そこで、食事代は絶対に割り勘で!ということを条件に、私はお誘いを受けることにした。
食事場所は、『グランフロントOSAKA』の4棟あるビルのうちの≪インターコンチネンタルホテル≫のフランス料理のお店だった。
グランフロントOSAKAができたとき、その1棟がコンチネンタルホテルであることは知ってはいたけれど、私などお呼びではない
と思って、足を踏み入れたこともなかった。
そのホテルのフランス料理のお店…私にはかなり敷居が高かったけれど、約束したのだから、その高い敷居も跳び越えねばなら
ぬ!(なんて、ちょっとオーバー且つふざけた言い方だけど)
ともかく、約束の時間にホテル・20階のロビーに行くと、Sさんが、30年前とほとんど変わらない姿で待っていてくださった。
ほとんど変わらないと書いたけれど、後ろから見たとき、片足をずい分痛そうに引きずるように歩いておられるのに気づいた。
気づいたら黙っておられない性分の私…尋ねてみると、股関節を悪くされて、お医者さんからは人工関節を勧められているとの
こと。
私が心配すると、彼女は妙にサバサバされて、「退職したら良くなるだろう」と楽観的だ。
まあ、それもそうかと思って、でも、「くれぐれも気を付けて無理をしない(わけにもいかないんだろうけど)ようにネ!」とだけ言っ
て、その話は終わった。
食事は、ランチとは言え、本格的なフランス料理のフルコースだった。
料理が運ばれるたびに、ウエイターさんが料理の材料などの説明をされるけれど、ちょっと舞い上がり気味の私の頭では、ほと
んど理解できなかった。
それはともかく、運ばれてくる料理は、どれもこれも、とても美しく盛り付けされ、もちろんとても美味しかった。
私は写真に撮ろうかと一瞬考えたが、ゴソゴソしてお皿でもひっくり返したらいけないと、思い止まった。
(このブログを書くんだったらヤッパリ撮っておけばよかったのに、と今になって思うけれど…。)
食事をしながらの会話の中でも、彼女は当時を振り返って、自分は先輩に恵まれてラッキーだったと、しきりに繰り返される。
私は、そんなことないよ!と何度も言ったけれど、それが彼女の心底からの思いなんであれば、それはそれでありがたく受け取
っておこうと思い直した。
それに、彼女が当時の先輩と言われるとき、それは私だけでなく、私より年上または同年くらいの何人かの方も含まれている。
けれど、残念なことに、その方々はいずれも、割と早くに旅立たれたのだ。
だから当時を振り返って懐かしく思われたとき、残っているのが私だけだったということもあるのだろう。
それにしても、若いとき、私のような何でもない者も含めて、年上の人たちをこのように尊敬の眼で見られるって、やっぱり彼女は、
とても謙虚で誠実で素直なんだなあ!と、つくづく思う。
そして、私の若いときには、そんな謙虚さも素直さも皆目無かったことを、彼女によっては私は気づき、少しだけ反省した。
美味しい食事と楽しいお喋りの時間は、アッという間に過ぎた。
帰り、私の懇願?にも拘わらず、彼女は頑として、食事代を取ってはくださらなかった。
私は諦めて、彼女の厚意に心から感謝し、ご馳走になることにした。
Sさん、本当にごちそうさまでした♪
そして、あたたかい優しい心も、一緒にいただきました。 本当にありがとうございました!
彼女と別れたあと、私は、コンチネンタルホテルとその横のタワーマンションの間に造られたお庭を通って、家に帰った。
そのお庭から撮ったコンチネンタルホテル。(外観は何ということのない高層ビルだけれど)
お庭のスナップ写真を、ちょっとだけ。
もみじはまだ緑
大好きな碑文 榊莫山氏の書
「花アルトキハ 花ニ酔ヒ 風アルトキハ 風ニ酔フ」
帰り道で、葉っぱを落とした街路樹の樹形が面白くて、撮った。
又々長く失礼しました(ー_ー)!!
これ程本格的なフランス料理のコースは余りいただいたことがないので緊張しました。本文にも書きましたが、私は決していい先輩ではなかったと、今でも思うのですが…。