先日の「日曜美術館」で、何年ぶりかで『松本竣介』が取り上げられた。
何年か前に松本竣介氏が取り上げられたときは、戦中、多くの画家が戦争に強力して(させられて)いく中で、彼だけが権力に
抗し、自分の求めるものを純粋に追求していった、その真摯な姿を追っていた。
その番組は私の心を強く動かし、拙いブログも書いた。
今回は、群馬県桐生市の「大川美術館」に<竣介のアトリエ>を再現して、彼の活動をもっと広い視点からみていこうというもの
だった。
再現された<竣介のアトリエ> (室内に佇むのは、竣介の次男・莞氏)
竣介は、自分のアトリエに≪綜合工房≫と名付け、絵画だけに限らず様々な文化をそこから発信しようという意欲に満ちていた。
その初めの活動は、竣介自身の編集による雑誌≪雑記帳≫の発行だった。
そこには当時の名立たる文化人たち(佐藤春夫、萩原朔太郎、島木健作など)が投稿し、もちろん竣介自身も執筆した。
しかし雑記帳は、資金不足のため14号で廃刊を余儀なくされる。
そしてそこから、竣介の絵画制作が本格的に始まる。
彼は意欲的に海外の画家たちの作品や資料を取り寄せ、そのなかでも、モディリアニの影響を強く受けたことが、アトリエに残さ
れた資料などからうかがえるとのことだった。
(左がモディリアニ、右が竣介の絵)
戦争に向かう状況下で外出が儘ならぬ状態のなか、竣介は写真などをさまざま集めて、そこからも絵のモチーフを貪欲に探して
いったらしい。
また彼は、当時活躍していた日本人画家の、藤田嗣治や野田英夫の絵も研究していたとのこと。
(上が野田英夫の絵、下が竣介の絵)
それと私が感心したのは、彼が、カルトンやグラッシなどという西洋の古い技法を地道に学び、その技法の上に、現代の感覚を
取り入れて絵を描いていったということだった。
そして今回の番組の中で私が最も心を打たれたのは、父親としての彼の愛情の深さだった。
竣介には「莞」と名付けた息子がいる。
下は、幼い莞さんと竣介の写真。 父子のほのぼのとした愛情が伝わる、とっても素敵な写真だ、と思う。
竣介は、幼い莞さんが描く無邪気な絵にも心を惹かれ、その絵を下敷きにした絵を何枚も描いている。
戦争が激しさを増し、20年3月10日の東京大空襲の後は、さすがの竣介も、妻子を田舎に疎開させるが、自身は東京に残って
絵を描き続ける。
しかしその時にも、莞さんに宛てて、沢山の絵入りの手紙を送っている。
その中の一枚。「オトーチャマヨリ」 「カンボーニ コノエガ ワカルダロウカ~」
前回の番組では、あの時代にあって、戦争に協力する絵の制作をいっさい拒み続けた崇高な画家という面に注目して竣介を見
ていたが(それは今でも本当に素晴らしいことだと思う!)、今回、愛情深い父親としての竣介を見られたことは、とっても幸せだっ
た。
最後に、(上に挙げた以外の)私の好きな竣介の絵を載せて、ブログを閉じます。
絶筆 「建物」
(一番下の絶筆「建物」は、迫る死の床で描かれたものだが、大川美術館館長の田中淳氏は、竣介がもっと生きて
いれば、更に新しい絵の展開(例えば抽象画とか)も考えられたのでは、と竣介の早過ぎる死を残念がっておられた。)
こうして詳細をアップしてくださって、本当に嬉しいんです😆ありがとうございました🙇
こちらこそ、ありがとうございました!
私は絵は描けないのですが、見る(鑑賞する)のは大好きです。