昨日午後のNHKテレビで、2004年放送の番組(途中から見たので、題名が分からない)を、再度放映していた。
途中からだったが、私はその画面を見たときから、一瞬たりともその画面から目が離せなくなった。
それは、あのアウシュビッツ強制収容所で、【囚人オーケストラ】の一員(ヴァイオリン奏者)としての任務を与えられた「ゾヒィア・チコビアクさん」の、
戦中・戦後の言い知れぬ悩み・苦しみを追ったドキュメントだった。
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【囚人オーケストラ】時代の苦しみを語る、ゾヒィアさん
私は、ナチスによるユダヤ人迫害・虐殺のことは、かなりよく知ってる方だと思っていた。
でも、収容所内に【囚人オーケストラ】なるものが組織されていたことは、今回初めて知った。
そして【囚人オーケストラ】は、(もちろん!)他の囚人たちを慰めるためなんかでなく、彼らを精神的に更に痛めつけるためのものだったのだ。
当時ナチスは、囚人たちの一部を組織して【特別作業班】なるものもつくっていた。
【特別作業班】の任務は‥?
それは、囚人たちの大量殺戮の中核であったガス室送りを、直接行わせるものだった。
特別作業班に選ばれた囚人たちの中には、自らの肉親(親や子・兄弟姉妹)を自身の手で、ガス室に送らざるを得ない人もいた。
収容所の周りを厳重に取り囲む鉄条網(上2枚)と、ガス室(一番下)
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【囚人オーケストラ】は、弱った体で強制労働に向かい、更に疲れ切って強制労働から帰ってくる囚人たち(中には歩けない人もいた)に向かって、い
かにも陽気な行進曲などを演奏させられた。
それらの曲は、強制労働をさせられる囚人たちの心をいたぶるように鳴り響き、彼らの傷ついた心を更に痛めつけた。
囚人のガス室送りが行われるときも、囚人オーケストラは動員され、同じように明るく楽しい曲を演奏させられた。
囚人オーケストラの演奏は、それを聞かされる囚人たちだけでなく、演奏する人たちの心も同じように苦しめた。
囚人であるオーケストラ団員の自分が、仲間である同じ囚人たちを苦しめる演奏をさせられるという…事実。
それも、自分が愛する“音楽”を使って!
ゾヒィアさんの悩み・苦しみも、深かった。
彼女は一時、オーケストラを辞めたいと申し出られる。
それに対しての幹部の答えは‥「オーケストラか、さもなくば懲罰労働か!」 だった。
彼女は、オーケストラに残ることを選ばれた。
そのときの心境を、彼女はこう語られている。
「私はあの時敗北したのです。時間の掛かる死に対する恐怖心の方が、私のなかで勝った…」 と。
彼女の決定を誰が非難できようか?
1945年5月、ナチスは降伏し、ゾヒィアさんたち囚人は解放された。
しかし囚人だった人たちの苦しみが、これで終わったわけではない。
ゾヒィアさんは、体力を回復するために数か月入院されるが、退院された後も、まともに仕事はできなかった。
職場に行っても、軍服を見る度に貧血を起こし、叫び声を上げて倒れ、家に帰らされたからだ。
人と親しい関係を結ぶこともできなかった。
音楽も聴けなくなった。
当時同居されてたお母さんからたまに演奏を頼まれると、彼女は1週間くらい発熱した。
解放後10年くらい経って、彼女は意を決してコンサートに行かれた。
でもそのコンサートで、“蝶々夫人”のアリア(それは収容所で演奏させられたものだった)を聴くと、気を失い意識が戻らず、救急車で運ばれた。
彼女は自分を制御できなくなり、その時は、森や林に逃げ込み、昼も夜も歩き続けられたそうだ。
転機が訪れたのは、1958年。 戦後13年が経った、35歳の夏だった。
悩み抜いたあげく、彼女は再びアウシュビッツを訪ねる決意をされる。
彼女は、亡くなった人に謝罪したかったのだと言われる。
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彼女は言われる。 「アウシュビッツとの再会は、強烈でした。」と。
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帰ってから数週間は、熱が続いたそうだ。
しかし、アウシュビッツの訪問を続けられるうちに、彼女の心に“奇妙な安らぎ”が広がるようになった。
体調がいい時は、音楽との絆を取り戻そうと、少しずつラジオが聴けるようにもなってきた。
そして、時には楽しんだり、感銘を受けることもできるようになった。
そして彼女は言われる。
「どんなに不当な死でも、全くの無実の死でも、その人生には、きっと何かの意味があるはずです。
いつかその意味が私にも理解できる日が来る、そう強く信じています。信じたいのです!」
最後に、彼女の力強い言葉が書かれた幾枚かの写真を載せて、このブログを閉じます。
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