お庭の中心にある池まで下りてきた。
次からの写真は、その池と周囲の情景。
自由散策の時間も残り少なくなってきたので、私たちは天龍寺を出て<竹林>へと急いだ。
竹林の写真は、いつも上手く撮ることができない。
今回もそうだったが、せっかくなので、何枚か。
お庭の中心にある池まで下りてきた。
次からの写真は、その池と周囲の情景。
自由散策の時間も残り少なくなってきたので、私たちは天龍寺を出て<竹林>へと急いだ。
竹林の写真は、いつも上手く撮ることができない。
今回もそうだったが、せっかくなので、何枚か。
トロッコ列車は、20分ちょっとで、終点の嵯峨駅に着いた。
嵯峨駅から程なくのところのお食事処で昼食を済ませた後は、各自自由に嵐山を散策することになっていた。
Kさんと私は、<天龍寺のお庭>を見たあと、<嵐山の竹林>をぶらつこうということになった。
朝は台風一過の晴天だったが、この頃になると、曇りかげんのお天気になった。
なので嵐山の風景も、なんだか薄ぼんやりしている。
<天龍寺>に着いた。 (右下は、天龍寺を入ったところに咲いていた、薄紫の線が入った、白い桔梗)
私たちは今回は、天龍寺の建物には入らず、お庭だけを見ることにした。
道沿いの苔が美しかった。(左下)
その辺りで出会った、着物を見事に着こなされた、ドイツの女性。 (右下 日本語もとてもお上手だった。)
庭を取り囲む小高い所に上ってみた。
そこから、木の葉越しに見下ろした、街並みと、天龍寺の建物(の一部)。
大石酒造の後は、バスで<トロッコ列車の亀岡駅>に向かった。
亀岡駅のホームで、しばらく列車の到着を待つ。 (私たちの座席は、3号車だった。)
線路と線路の間に、どういう訳か分からないけれど、たくさんのタヌキの置き物が置かれていた。
しばらく待つと、鮮やかな赤と黄色の車体の、トロッコ列車が入ってきた。
トロッコ列車は、亀岡駅と嵯峨駅とを往復運転している。
なのでこの列車は、嵐山の方から乗って来られた乗客でイッパイだった。
私たちは、満杯の乗客が降りられるのを待って、トロッコ列車に乗り込んだ。
列車は、保津川沿いを走っていく。
ガラス窓越しなので、うまくは撮れなかったが、保津川の流れを撮った写真を、何枚か‥。
6日(木)は、「中津ゆうゆうクラブ」(ハッキリ言うと、「老人クラブ」で~す!)恒例の、<一日バスツアー>だった。
今回のツアーのメインは、亀岡から嵯峨までのトロッコ列車と、嵐山での昼食・散策だった。
嵐山界隈はよく行っているし、同じ行くなら紅葉の時季がイイのに、という不満もあったが、トロッコ列車には乗ったことがなかった
ので、季節はイマイチだと思いながら、やっぱり参加させてもらうことにした。
6日は、台風一過の晴天に恵まれた。
トロッコ列車に乗る前に、<大石酒造>の<酒の館>の見学があった。
私はお酒はほとんど飲まないが、酒蔵の建物や道具には、興味が無いことはなかった。
大石酒造・酒の館の玄関と、その前の、ムラサキシキブとコスモス。
中に入ると、酒造りをするための、いろんな古い道具が陳列してあった。
室内には、縁起物のおたふくさんなども置かれていて、何かほほえましい感じ。
見学を終えて外に出ると、薄いピンクのコスモスが可愛く咲いていた。(花の向こうに小さく写っているのは、ひょっとしてモンシロ
チョウ?)
キバナコスモスの向こうには、「稗田神社」の鳥居と、私たちを乗せてきたバス。
10月1日の夕方、折しも、今と同じように、パソコンに向かってブログを書いていたときだった…。
突然後ろで、バリッバリッ、ドドーン!という、今までに聞いたことのない大きな音が響いた。
何事が起こったかと後ろを振り向いてみると、な、なんと、和室のエアコンが、天井と壁の間の横木と天井の一部と共に、落下して
いるではないか!
ええっ、一体どうなっちゃったの!?
私はおもむろに和室に行って、状況を確かめた。
エアコンはテレビの前に斜めにずり落ちて無様にぶら下がり、辺りにはいろんな物が散乱している。
ただ、幸いなことに、エアコンも大きく破損している感じはなかったし、机の上に置いていた一部の小物は壊れたものの、全体的
には大きな損傷はないようだった。
私は、散乱した小物をちょっとだけ片付け、(天井の壁紙?とエアコンの後ろの鉄板がくっついたままの)1間半の横木を、一応
パソコンの部屋に運んで隠した。
それだけすると、私はまだ終わっていなかったブログの続きをした。
ブログを書き終えてしまいたいという思いもあったが、エアコンの処理についてこれからどうしたらいいのかを考えるのがめんどう
くさくもあったから。 (これが物事を先送りする、私の悪い癖なんだけれど‥)
しかし、テレビの前に斜めにずり落ちているエアコンだけは何とかしないと、私の大好きなテレビを見ることができない!
そこでブログが一段落したとき、私は力を振り絞って、テレビの前にずり落ちていたエアコンを、テレビの後ろに移動させた。
(下の汚らしい写真が、その時の様子。 左の赤いのがテレビ画面です。)
非力な私にはそれは簡単なことではなかったが、<テレビばあさん>の私にとって、テレビを見ることができない生活は、たとえ
一晩であっても考えられないのだ。
何とかテレビを見ることができるようになった私は、それだけで安心すると同時に、スッカリ疲れてしまって、その後は何もする気に
なれず、その日はそのまま沈没したのでありました。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そんな折、Nさんが又、(私の写真をもとにして描かれた)絵てがみを送ってくださった。
いつもながら、Nさんの絵てがみは、実際の私の写真よりずっとステキだ。
コスモスは、絵てがみの中で優しく揺れて、私の疲れた心身を慰めてくれた。 (Nさん、ホントにありがとう!)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ところで、私がエアコンの業者に電話したのは、やっと昨日になってからだった。
業者はすぐに様子を見に来てくれ、設置にミスがあったことを認めて、平身低頭、3人がかりでキチンと直してくれた。
天井と壁の間の横木と天井の一部の破損の修理は、後程、専門の人をよこして修理させるからとのことだった。
下は、一応直ったエアコンの写真。
それにしても、エアコンが落ちてくるなんて、本当にビックリだ。
誰に聞いても、そんな事は聞いたことがないと言われる。 (インターネットで検索たら、無いこともないようだったが‥)
でも考えてみれば、私は幸運だったかも知れない。
エアコンの落下で、私自身が大けがをしなかったという保証はないし、家具などの破損も十分に起こりうることだ。
それが無かったのは、本当に幸運だった。 ( ブログをやってたお陰かな!?〈笑〉 )
とにもかくにも、私の10月は、このように「あり得ない事件?」によって、始まったのでありました。
淀川の土手を公園の方に向かって進む。
淀川の眺め。
公園に下りる辺りの土手に咲いていた花。
再び公園に下りてから見た花。
終わりに、今年最後の曼珠沙華。
昨日の朝は割と元気だったので、公園を出て道路を歩き、新御堂まで足を延ばすことにした。
道路を歩きながら見上げた、淀川の土手の上の空。
フェンスに絡み付いたアサガオ越しの空。
新御堂に上がると車がビュンビュン走り、忙しい一日の始まりを告げるかのようだ。
新御堂から眺めた、空と淀川。
新御堂を下り、淀川の土手に上がった。
土手の草花。
昨日の朝は、本当に久方振りに、中津公園でラジオ体操をした。
私が公園に着いたとき、すでに公園にはいつものメンバーが集まっておられた。
私は冗談半分に、「生きてましたよ!」と皆さんに挨拶して、皆さんの輪の中に入って、一緒に元気よくラジオ体操をした。
とっても気持ち良かった! なんだかこれで、自分も<中津の人(中津人)>の仲間に戻れたような気がした。
ラジオ体操が済んでからいつものように公園を巡り、気に入ったモノ(情景)をカメラに収めた。
次からその写真を説明抜きで、順次載せさせていただきます。
木曜日(29日)は、前から予約で、歯を1本抜いてもらうことになっていた。
信頼している歯医者さんだけど、抜歯完了までに結構時間が掛かった。
痛くないようにしてくださることは分かっていても、終わるまで身体に力が入って、ずい分疲れた。
なのでそのまま帰ろうかとも思ったが、お昼時だし、ご飯くらい食べて帰ろうと思い直した。
どこで食べようか考えながら水晶橋を渡っていると、水晶橋の上の植え込みのサルスベリが、雨に打たれながら、花びらを地上に
いっぱい落としていた。
橋を渡って図書館前を歩いていると、今度は、百日草の花の上を蝶々が舞っていた。
この間、長居植物園で、フジバカマの上を舞っていたのと同じ蝶だが、名まえは分からない。 (と書きましたが、友だちのNさんが、
その蝶々は<あおすじあげは>だと教えてくださいました。ありがとう♪)
(ピンボケばっかりですが、蝶の写真を載せさせていただきます。)
次は、図書館の窓の灯かりと、中之島のシンボルの像。 そして、土佐堀川の船着き場。
結局、中之島公会堂のレストランで食事することにした。
公会堂のレストランの前には、珍しい花が咲き、なんと、その下にキノコが生えていた。
食事の後、ちょっと公会堂の中をブラついていると、一つの部屋で、公会堂と大阪の歴史についての展示が行われていた。
せっかく来たのだからと、部屋に入ってみた。
その展示で、この公会堂が、<岩本栄之助>という実業家の寄付によって建てられたことを、私は初めて知った。
いろんなことでよく使わせてもらっている公会堂なのに、今までその歴史に全く関心を持たなかったことを、深く恥じた。
しかし岩本氏は、その後の株の大暴落で資産を失い、公会堂の完成を待たずに、自ら命を絶たれたとのこと‥。
残念至極だ。(下は、氏の「辞世の句」)