百翔

あした天気になぁれ!

 さんびゃくろくじゅーど

2007-05-16 | Weblog


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昼のみのもんたの番組の「今日は何の日」で犬養 毅
首相をはじめ、牧野伸顕・内相官邸、警視庁などを海
軍将校、陸軍士官候補生などが襲い、首相官邸に家族
といた犬養首相は、応接室に彼らを案内し「話し合お
う。話せば分る」と言ったが「問答無用、撃て」の合
図で頭部に2発の玉を受けて倒れたと。

家族の見守る前で「あの若い者を呼べ、話したいこと
がある」と言って息を引取ったとのこと。そして、首
謀者たちが逮捕され裁判になると、全国から多数の助
命願いが届き彼らは軽い刑で済んだと。

これに対する、みのもんた氏のコメントは少しずれて
いたが、当時の世論は軍部を支持していたという事だ
ろう。片や政財界は金にまみれて支持を失っていたの
かもしれない。問題は当時のマスメディアがどのよう
に報道していたかだ。

一般民衆に、政財界は金まみれで、けしからんと報道
していて、世間一般もそのように認識していたので百
万通もの「助命願い」が届いたのではないのか。そし
て軍部が暴走し、続いて「2.26事件」等を経て軍
政の時代にしてしまった。

そして、世界の経済を支配する勢力の意図により、す
でに1925年に書かれていた「太平洋戦争」という
本の内容と同じように、心ならずもアメリカとの戦争
に引き込まれた。(日本はアメリカが望むどんな和平
の条件も聞くという意志を表明したにも拘わらず無視
された)等の外的要因も加味されているが。

少し横道に反れたが、軍部の独走を助長し、戦争賛歌
の新聞報道も、マスメディアが「自由」を守るという
本分を忘れ、世情におもねった結果ではないかという
事なのです。いくら100万通の嘆願書が来ても、そ
れは間違いですと言った新聞社が今残っているのだろ
うか?一緒になって戦争を煽り、戦争が終わった途端
180°の方向転換して、今生き残っているのでない
のだろうか?

コメント
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