畠山義綱のきままな能登ブログ

畠山義綱が見てきた史跡を紹介します。
時々、経済や政治などもつぶやきます。

現代の子どもたち

2006-08-05 15:02:18 | 日記

 昨日夜、仕事から車で帰るとき、家へ「今から帰るコール」をした時、とうとう道路交通法違反で捕まってしまった。今まで一回も違反もしたことがなかったのに。点数1点、違反金6000円。いやはや、無論自分がいけないことはわかっているけど、ケイサツがウザイ。むちゃくちゃ腹立つし、今までまともにやってきたんだからちょっとくらいいいじゃん。もっと他に重大な犯罪を起こしている奴がいっぱいいるじゃん。と言う気持ちが沸いて、その夜は無性に腹立たしくて遊びまくった。
 一夜明けて冷静になってこの気持ちが、あることに共通しているのではないかと考えた。中学、高校と生徒が教師や学校、そして大人に反発するのがこれとなんとなく同じなのではなかろうか。教師や周りの大人がいくら「君のためだよ。そんな悪いことはやめなさい。」「いつまで遊んでいるの?いいかげんに勉強しなさい!」と言われても反発する。これも子どもは自分が悪いことは分かっているけど、正論を並べて理由をあげられたら、自分が悪いと思っても腹立つし、反発する。せめて「君の気持ちもわかるけど、これはだめなんだよ」って自分の気持ちをわかってもらいたい。それを今回、いつもとは逆の立場、いわば私が子どもの立場になって経験したわけである。
 私は、中学・高校時代は学校に反発したことはあまりなかった。また、両親にもそこそこの反発はしたが、それほど大きな反抗期はなかった気がする。この理由はなんとなくわかっている。私は学校や大人をどこかで見下していた。
 タバコをポイ捨てする大人。詐欺を働く大人。腐敗した政治家・公務員。不正談合、脱税、虐待、殺人…。子ども心に日々のニュースを見てどれだけ大人が汚いか知ると、「色々言うけど、大人だって完璧じゃないじゃん。それなのになんで子どもにだけ押し付けるの。むかつく。でも反発したところで、今後の自分の人生がぼうに振ってしまうわけだから、いい子に振舞って自分が学校(大人)を利用してやろう。」そう思っていた。だからこそ私は、高校・大学と推薦入学で入り受験らしい受験を経験してなった。無論勉強が超出来たわけではない。大人たちの前では要領よく立ち回っていたのだ。陰では学校や大人たちを見下しながら。
 なんと私は、擦れた子どもだったのだろうか。自分の経験と今の子どもたちをみて思うことがある。子どもは私のように、大人の矛盾を見抜くと色々な手段で大人たちに反発するが、代表例として次の二点が挙げられないだろうか。

①大人の矛盾を大人に素直にぶつける(言葉や暴力の反発)タイプ。
大人が子ども納得させるような答えをいえない場合、また力で押さえつけてしまった場合、不満は抑圧され、さらなる非行・凶行に走る。ただ、このタイプは世の中への不満やストレスを形(言葉・暴力)で表現するだけに、発見しやすい。対処は難しいが、とても素直な子であると言える。

②大人の矛盾を知って、大人を見下した上で、大人を利用するずる賢いタイプ。
いわゆる「良い子がキレる」というのは、このタイプの子の我慢が爆発した例ではなかろうか。このタイプは世の中への不満が見えない形(表面上ではおとなしい良い子)なので、どれだけ気持ちや人格が擦れているか、見えにくい。そのまま不満を抱えたまま大人になると、傲慢な性格になる。

 もちろんこの2点に子どもがすべて分類されるわけではないが、ある意味ほとんどの子どもは上記①②の性格を内包していると思う。①が多いか②が多いかわからないが、子どもは①がダメなら②でというように、大人を試していると私は思う。
 私の子ども時代は②に該当するだろう。このような気持ちで大人になった私が、いい子育てを出来るわけない。いい仕事ができるはずない。子どもの素直な気持ちをもう一度理解しなければ…そう考えさせるきっかけになった、自分の子ども時代の考えを呼び起こさせてくれたこの出来事は、ある意味自分にとってとても大切な経験だったのかもしれない。そう、忘れていた。子どもは子どもなりに考え、行動しているということを。未熟な考えだからと言って、大人の考えを押し付ける周りに、見えない形で反抗していた私の子どもの頃の記憶を…。